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zoom RSS 日本史の「女性」20 型破り!美貌皇后の遺言

<<   作成日時 : 2016/04/10 00:01   >>

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「橘氏」出身で唯一皇后に立てられ女性、それが第52代・嵯峨
天皇の皇后・橘嘉智子(かちこ/786-850年/享年65)です。
仏教への信仰が篤く、日本最初の禅院・檀林寺を創建した
事績もあって、「檀林皇后」と諡号されました。

また、世に類なき美貌を備えた女性だったとされています。
では、どのくらいの美貌だったのか? 
残念ながらお会いしたことがないので、その辺については
よくは分かりませんが、千年以上経った今もそう語り継がれて
いるのですから、「とにかくモノ凄い美貌」だったと受け止める
のが大人の態度というものでしょう。

その美貌とは打って変わって、この「檀林皇后」には、度肝を
抜くようなお話が残されています。 
もっとも、どこまでが史実なのか伝説なのか、多少あいまいな
印象もあるものの、ともかくその「遺言」が凄まじい!

〜私の遺体は埋葬せずに、どこぞの路傍に打ち棄てなさい〜
これは、自分の体を鳥や獣が傷つけても「平ちゃらだい」という
覚悟を表わしたものでしょう。 
しかしまた、なぜそんなことを?
実は、生前の「檀林皇后」は、大きな憂いを抱えていました。

自分の美貌に恋慕する者が多いだけではなく、時として修行中
の若い僧侶でさえクラッとさせてしまうことがあったのです。
おそらく、並みの男衆ならクラッ×クラッ、並みのスケベ男なら
クラッ×クラッ×クラッほどのものだったのでしょう。

もちろん、そうしたことは彼女の責任ではありません。
しかし、なにしろ熱心な仏教信仰者ですから、
〜これはよくないことです。 世の中に永遠なるものは一つも
  無いという「諸行無常」の真理を自らの身をもって示し、
  人々の心に菩提心(覚りを求める心)を呼び起こさなくっちゃ〜


そのために、自分の遺体をうち棄てて、次第に腐乱し白骨化して
いくその様を人々に晒すように遺言したとされています。 
そして、なんとこの希望は叶えられました。

過激といえば過激ですが、さらにはその遺体の変化の過程を
絵師に描かせたという伝説?まで残されていて、その様子を
描いたとされる「九相図」※1が、京都・西福寺※2にあります。
※1 遺体が朽ちていく経過を「九段階」に分けて描いた仏教画。
※2 もちろんリアルタイムの「写生画」ではなく、江戸初期の作品らしい。


ご参考までに、臨終の場から次第に変貌しやがて土に還るまで
の一連の様子を描いた西福寺「九相図」を下に掲載しましたが、
各場面の生々しさに夢でうなされることがあってはいけません。
ご覧になるときは予め「深呼吸」をお願いしておきます。


九相図檀林皇后51


















 「九相図」/京都・西福寺

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本来なら、場面ごとの詳細な説明を加えるのが親切というもので
しょうが、幾分腰が引ける思いもあって、この先はバッサリ割愛。

しかし、こうした光景には誰しもが大きな衝撃を受けるものです。
修行僧といえども、その点は例外ではありません。
煩悩を払い「諸行無常」を悟る方法として、死体の変貌の様子を
観想(イメージ)する修行があるのはそのせいでしょう。

ですから、観想を一層深めたい修行僧が、ビジュアル教材?と
してこうした「九相図」を用いたとしても、さほどに不思議なこと
でもありません。
生前と死後の落差が大きいほど「諸行無常」の真理を強く体感?
できるからです。 

そういうことなら、「九相図」のモデル?は、生前に飛び切りの
美貌を備えていた女性が最適?いうことにるわけで、間違っても
アナタのようなメタボオジサンが「九相図」のモデルになることは
ありません。

生前もそこそこ醜く、死後も同じように醜い、こんな落差のない
「九相図」では、「諸行無常」をイメージしようとする修行僧に
とって何の手助けにもならないからです。

それにしても、いかに仏教に対する信仰が篤かったとしても、
また「諸行無常」がいかに大切な教えだったとしても、それを
伝えたいがために、自分の遺体を路傍に晒し、朽ちていく様を
人々に見せようとしたこと・・・これがもし事実だったとしたら、
この「檀林皇后」の一足飛びの発想にはあまりにも「凄すぎる」
ものがあります。

ですから、あるいは自分の美貌に対する雑音だけでなく、周りで
繰り返される血塗られた政争に嫌気がさして、こうした極端な
結論に至ったとも考えられないわけではありません。
〜たかが一瞬の栄華のために殺し合っていてどうするの?
  私が身をもって「諸行無常」を示しますから、それを見て
  心の底から反省しなさいッ〜


それはともかく、第45代・聖武天皇の皇后「光明皇后」(701-760年)
がモデルといわれている奈良・法華寺の「十一面観音立像」
(国宝)も、本当はこの「檀林皇后」がモデルではないかとする説
もあります。

両人とも「四姓(源平藤橘)」出身の「皇后」であり、「美貌」の人で
あり、そしてまた「仏教」に熱心だったことなど、多くの共通点が
挙げられるので、あるいはどこかで両者の「個人情報」が交錯?
してしまったものかもしれません。

檀林皇后52 十一面観音法華寺51









    檀林皇后      十一面観音立像

女性には、時として敢然と「脱・常識」に走る傾向があるようで、
そうした姿は歴史にも時折見ることができます。 
たとえば「土葬」が常識だった時代に、天皇経験者としては、
史上初めて「火葬」を選んだ「持統天皇」(645-703年)も女帝、
つまり女性でした。

そうすると日本では古くから、「時代の<新>常識」をこんな形で
定着させてきたのかも? 〜女は度胸、男は酔狂〜




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