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zoom RSS 日本史の「陰謀」16 事件は”長袴”から始まった!

<<   作成日時 : 2016/02/28 00:00   >>

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裾の丈がメッチャ長くて、足も出せないまま後ろに引きずる
袴姿は、 たとえば、「忠臣蔵」ドラマの江戸城内「松の廊下」
シーンにも登場します。
これには、見た目通りの「長袴」という名が付いていますが、 
ともかく足の出ない不思議なデザインですから、現代人が
いささかの疑問を抱いたとしても不思議ではありません。
〜それにしても無駄に長くて、動作にも不便極まりない、
  こんな衣装のいったいどこにメリットがあったのだろう?〜


実際、この衣装の動作に与える制約たるやハンパでないため、
「礼式日」や「勅使お迎え」など、特別な日限定の「礼服」として
用いられ、いわゆる「普段着」ではありませんでした。

さて、将軍の執務所、同時に住居でもある江戸城。
ここでは、城内騒動?の類は、むろん全てが「御法度」とされ、
そうした「掟破り」?を未然に防ぐためにも、やたらに厳しい
「殿中(城内)ルール」を設けていました。 

たとえば、〜殿中で走ることは禁止!〜 「礼式日」には、さらに
徹底させるために、走るどころか、歩くことさえままならぬほどの
衣装を義務付けました。 それがこの「長袴」です。

ただ、業務多忙な役職にある人達までが、この「長袴」姿で悠長
に歩いていたのでは、さすがに仕事に支障をきたします。
そのため、特別扱い?として、老中・側用人・若年寄などの
お歴々には、普通の袴を許していたようです。

では、〜こんな「長袴」姿で、トイレはいったいどうしたのか?〜
これもまた、普通に浮かんでくる疑問です。
ましてや、みな「御殿様」の面々ですから、こうした異様な?
衣装を自分だけで器用に脱いだり着たりできたとも思えません。

そこはそれ、衣装脱着が不要の便利?なツールがありました。
その名称はずばり「尿筒」※(しとづつ)・・・要するに、これを
「長袴」の裾のゆとりから差し込み、立ったまま静かに放出、
そして完了・・・まあ現代風にいうなら、携帯「尿瓶(しびん)」?
※竹製・銅製などで、長いのは1メートルほどもあったそうな。

〜どうだ大名達よ、これほどの「長袴」なら、ちょっくらちょいとは
  ヤンチャもできないだろうが!〜
といった感じでしょうか。 
ですから、こうした「不便さの採用」は大名統制のために幕府が
採った一種の「陰謀」とも言えなくはないわけです。

しかしまあ、軍事政権・徳川幕府自身が、いわばその軍団長に
当たる大名に対し、本分の軍事面ではなくて、
〜えぇか、とにかくお行儀良くネ!〜とマナー指導をしている
のですから、とことん泰平の世だったとはいえそうです。

これを理のあるルールとして、おそらく幕府側&大名側の双方、
つまり、「長袴」の当事者達は納得していたものと思われます。
ところが、部外者にはやはり相当チンケな服装に映ったようで、
現にこんな川柳も。 〜長袴 廊下の掃除 して通り〜


松の廊下51









 忠臣蔵/刃傷・松の廊下 

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さて、その「長袴」がいったいどのくらい動きにくいかといえば、
運動会の種目「障害物競争・袋飛び」を経験した人なら、
ほどほど近いイメージが掴めるのかもしれません。
※麻袋の中に両足を入れ両手で袋を支え、飛び跳ねながら進む種目。

 袋飛び51






 


 運動会/袋飛び

ともかく、そうした「不便さ」が売り?の「長袴」ですから、大名側
としても、失敗のないよう、若い頃からそれなりの訓練を重ねる
などしたようですが、しかしそれでも、実際には、自分自身が
「つんのめる」、あるいは他人の「長袴」を「踏んづける」などの
失敗?事故?はあったといいます。 
なにしろ、そこが「値打ち」?の衣装ですから無理もない。

で、以上の状況を踏まえて、冒頭の「忠臣蔵」ドラマに戻ると、
そのモデルになった史実「赤穂事件」(1701年)の真相は、案外
こんなだったかもしれません。

まず発端。 高齢だった高家職・吉良上野介が自分の長袴
「つんのめった」・・・挙句、不覚にも、たまたま傍を通りがかった
赤穂藩主・浅野内匠頭長袴を「踏んづけて」しまった。 
踏まれた浅野も同じく「つんのめった」ため、その瞬間にこの
短気な殿様の目は据わり・・・つまり、キレた。

そして展開。 その尋常でない豹変ぶりに驚いた吉良は、
身の危険を察し、すかさず長袴の裾を掴むや、先の「袋飛び」
要領で、急ぎ現場からの退避を計った。 
ところが、キレた浅野も、それより高速の「袋飛び」で追いかけ、
吉良に追いつくやいなや、問答無用の一太刀を浴びせた。

一撃で仕留められなかったのは、たぶん浅野の息が上がって
ゼイゼイしていたからでしょう。
肩で息をしていては、誰だって手元が狂うものです。

そして、現場における「この間の遺恨、覚えたるか!」という
浅野の発言を、今さっき自分の「長袴」を「踏んづけ」られたこと
を言ったものと捉えるなら、「殿中刃傷」の一連の経緯もごくごく
素直に納得できるわけです。 やれメデタシ、メデタシ!





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