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zoom RSS 日本史の「列伝」11 居場所をなくした十代武将

<<   作成日時 : 2016/02/15 00:00   >>

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以下が小早川秀秋(1582-1602年)のプロフィール。
○羽柴(豊臣)秀吉(1537-1598年)の義理の甥として生まれる。
  (奇しくも「本能寺の変」の年)
○秀吉の養子(1585年)になり、秀吉妻・おねに育てられる。

○養父・秀吉に実子・秀頼(後継者)が誕生(1593年)すると、
  命により、小早川隆景(1533-1598年)の養子となり、以後
  「小早川」(1594年)を名乗る。
○秀吉死後の豊臣家VS徳川家の「関ヶ原の戦い」(1600年)では
  当初豊臣側に陣を構えたが、途中で徳川側に寝返り、徳川方
  の勝利に大きく貢献。 この時弱冠19歳。

○戦後、「裏切り」のご褒美?52万石を拝領し岡山城を居城に。
「関ヶ原」の二年後(1602年)に急死、享年21歳。
○徳川政権初の無嗣(後継者なし)改易として、小早川家は断絶。

月並みな表現ですが、確かに「波乱万丈」の人生です。
また「天下を決めた裏切り」と「若すぎる急逝」、この二つの
出来事の関連性も気になるところで、案の定、当時でさえ
その死因については諸説が語られています。

〜「裏切り」によって抱いた自責の念から〜
どの説も、このように原因・発端の点では共通していますが、
○ノイローゼに陥った挙句、狂乱自決。
○ストレスによるアルコール依存症に陥って命を縮めた。
○あれこれ乱行に走り、結果自らの死亡事故?を招いた。 等々
いずれにしても尋常な?亡くなり方だったとは見ていません。

しかしこの時代は、「裏切り」なんぞは日常茶飯事のことで、
倫理的にも、とやかく言われる筋合いのものでもなかったはず
ですから、秀秋が「自責の念」で本当にそこまで苦しんだものか
どうか、素直には頷けないものがあります。

それよりはむしろ、「心安らぐ居場所がなかった」こと、こちらの
苦しみの方が遥かに大きかったようにも見えるのです。
もちろん証拠はありません。 そりゃあそうでしょう、証拠がある
ならとっくの昔にそれが定説になっているはずですからね。


小早川秀秋51 小早川秀秋52 









       小早川秀秋       祟りに怯える秀秋

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少々悪ノリですが、証拠がないことに便乗して、イメージ先行の
かなり飛躍した推理をしてみます。
さて、上の肖像画を見る限り、小早川秀秋のイメージは大方は
優しいというか、気の弱そうな「草食系男子」というところに
落ち着くのではないでしょうか。 ※いまや古臭い言葉に?

では、この「気の弱さ」はどこで生まれたものか?
メッチャ飛躍したお話ですが、やはり「小早川」を名乗ることに
なった13歳の頃に芽生えたものと思えます。

4歳の頃には、後継者として秀吉の養子に迎えられたものの、
その秀吉に実子・秀頼が誕生するや、即座に「小早川家」へ・・・
この時点で、もうはっきり邪魔者扱いです。
なにせ多感な年代ですから、こうした仕打ち?によって、自らの
アイデンティティを見失い、人間不信に陥ったとしても無理は
ありません。

その上、当主に迎えられたとはいえ、おそらくはその「小早川家」
にも、秀秋に対する「ヨソ者」意識が働いていたことでしょうから、
〜ああ、ボクは「招かれざる客」だ・・・誰にも愛されず、信頼も
  されていないんだ〜
 こうした寂寥感が積っていくわけです。

「関ヶ原」を前にして、両陣営から誘いの声が掛かった時も、
多分こうした思いは払拭できていなかったと思われます。
この寂寥感が、自らの態度を決しようとする段に「優柔不断」と
いうカタチで現れたのかもしれません。

好むと好まざるとに関わらず、そのキャスティング・ボードを握る
ハメになった、弱冠19歳の孤独な「草食系男子」の心境たるや、
いかばかりのものだったでしょうか。

しかも、その戦いに勝利した後に家康から「裏切り」?に対する
労いの言葉をもらった時にも、半ばうろたえた様子を見せていま
すから、そこには「自分が受け入れられる」ことに対して大きな
戸惑いがあったということなのかもしれません。

また後に「酒」に溺れていったのは事実のようですし、噂にせよ、
百姓などを相手にした数多くの「乱行」が語られるようになった
のも、秀秋が抱えていた「どうしようもない寂寥感」の傍証に
なりそうです。

現代でも「居場所を失った」(と思い込んだ)人間が、通り魔殺人
に走った挙句に、時として〜(相手は)誰でもよかった〜と言い
放つ姿が見られますが、時代こそ違え、20歳そこそこの秀秋
これに似た心理が芽生えていなかったとは言い切れないような
気がするところです。





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