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zoom RSS 日本史の「列伝」10 徳川将軍の心身健康診断書

<<   作成日時 : 2016/01/15 00:01   >>

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徳川幕府の歴代15人の将軍の中には精神面や身体面で
それなりの「健康問題」?を抱えていた方もいたようです。 
「国のトップ」という地位には、シモジモには分からないご苦労が
あったということかもしれません。 ※1603年創設〜解散1867年

初代・家康 (1543-1616年)第2代・秀忠 (ひでただ 1579-1632年)
この親子が活動していた頃は、まだまだ戦さも盛んな時代
でしたから、少なくとも身体的な健康はしっかり維持していた
ものと思われます。 殊に「人間50年」と言われたこの時代に
おける初代・家康の想定外?の長命はその後の政局にも
大きな影響を与えました。 (家康・享年75/秀忠・享年54)

第3代・家光 (いえみつ 1604-1651年)/第2代・秀忠の子
「余は生まれながらの将軍である」の宣言で有名ですが、
子供の頃から病弱であり、再々病床を味わっています。
また精神面でも、癇癪持ちだったとか、ホモ系だったとか、
あるいは「辻斬り」が趣味?と噂されるなど、いささか難ある
性癖を引きずっていた様子も窺えます。(享年48)

第4代・家綱 (いえつな 1641-1680年)/第3代・家光の子
父チャンに似たものか、この方も生まれつきの病弱体質を抱え、
病を得るやその直後に亡くなっています。(享年40)

第5代・綱吉 (つなよし 1646-1709年)/第4代・家綱の弟
「生類憐れみの令」が代名詞になっていますが、後継将軍職を
元の家綱系統に戻さず、自分の女婿に渡そうと画策するなど、
精神面の「強欲」ぶりには特筆すべきものがありました。
また、身体面では「低身長症」が疑われています。 (享年64)

第6代・家宣 (いえのぶ 1662-1712年)/第3代・家光の孫
綱吉に待たされ続け、48歳になってやっと将軍に就任・・・その
間のストレスが大きかったのか、わずか三年で死去。(享年51)

第7代・家継 (いえつぐ 1709-1716年)/第6代・家宣の子
史上最年少(5歳)で任官した征夷大将軍でしたが、亡くなるのも
メッチャ早かった。(享年 8)

第8代・吉宗 (よしむね 1684-1751年)/御三家・紀州家から
なんとも不可解な曲折の末に、後継将軍候補が大本命・尾張家
から紀州家へ移ったことで出番が巡ってきたもの。 
にも拘わらず、以降の将軍を自身の血統で固めようと画策した
のですから、身体面はともかく精神面では第5代・綱吉に負けず
劣らずの「強欲」な一面を備えていたと思えます。
(享年68)  
「御三卿」を立てる → すべてが吉宗の血統
  (田安家と一橋家は吉宗の子が、清水家は家重の子がそれぞれの始祖)

徳川家康01" 徳川慶喜51










       初代・家康 →→→→→→→→ 第15代・慶喜

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第9代・家重 (いえしげ 1712-1761年)/第8代・吉宗の子
顔面麻痺?言語不明瞭?たえず歯ぎしり?などから脳性麻痺?
が疑われ、また相当な頻尿(排尿障害?)だったこともあって、
少なくとも健康面ではいささかの問題を抱えていたことは間違い
ありません。(享年51)

第10代・家治 (いえはる 1737-1786年)/第9代・家重の子
趣味の将棋などに没頭するあまり政治には不熱心だった「暗君」
とする見方もありますが、少なくとも身体的・精神的に健康だった
からこそ、それが出来たのでしょう。(享年50)

第11代・家斉 (いえなり 1773-1841年)/御三卿・一橋家から
在任期間50年も凄いが、オットセイのペニスの粉末を飲んで
精力増強に努め、16人以上?の妻妾を持ち、男26人・女27人の
子供
を設けたのですから、その身体壮健ぶりは折り紙付き。
※成年まで生きたのは半分の28人?
その数多の子供達を、相手先の御家事情を考慮することなく
矢継ぎ早に養子として押し付けた?のですから、これも「我欲」
の強さを窺わせます。 幼少期には蟹や鶏を、踏み潰す殴り殺す
などの嗜好を持っていたとも伝えられています。(享年69)

第12代・家慶 (いえよし 1793-1853年)/第11代・家斉の子
父チャンに負けず14男13女を設けましたから、「精力絶倫」という
才能?は遺伝するものかもしれません。(享年61)

第13代・ 家定 (いえさだ 1824-1858年)/第12代・家慶の子
先代・家慶の14男・13女の中で、20歳を超えて生きたのは、
この家定だけで、元々が病弱の上に脳性麻痺?だったとも。
つまり心身両面で問題を抱えていたことになります。(享年35)

第14代・家茂 (いえもち 1846-1866年)/御三家・紀州家から
第11代・家斉の孫に当たりますが、爺チャンの「精力」オタクに
負けないくらい大の「甘党」オタクでした。
それだけが原因ではなかったのでしょうが、重度の虫歯や脚気
を抱えて若くして亡くなりました。(享年21)

第15代・慶喜 (よしのぶ 1837-1913年)/御三卿・一橋家から(水戸家出身)
幕末動乱に遭遇した江戸幕府最後の将軍、つまり征夷大将軍
に任じられた日本史上最後の人物ということになります。
特筆すべきは歴代将軍の中で、神君・家康を超える最長命
達成したという事実です。(享年77)

こうして眺め直してみると、15人の「徳川将軍」の中には、元々が
病弱な体質や何らかの後遺症?を抱えていたり、また精神的な
面では多分に「危険な性癖」?や「強欲症状」?を抱えていた
人物が少なくなかったことに改めて気付かされるところです。





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