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zoom RSS 日本史の「逆転」17 隣国へ三里七里十里の渡し

<<   作成日時 : 2016/01/05 00:00   >>

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江戸・日本橋から京・三条大橋に至る「東海道五十三次」の
道中、尾張国から伊勢国へ向かう宿場町には、東から
40鳴海宿41宮宿(尾張国)(伊勢国)42桑名宿43四日市宿
がありました。

そして、同行程の「唯一の海路」として有名なのが「41宮宿」
「42桑名宿」の間を船で結んだ、いわゆる「七里の渡し」です。
その移動距離は約“七里”、所要時間は、何事もなければの
条件付きで、3〜4時間ほど?だったようです。
※別名に、桑名の渡し/熱田の渡し/宮の渡し/間遠の渡し/など。

ただこのように「唯一の海路」と説明されると、尾張国→伊勢国
への移動は、この「七里の渡し」だけだったように思いがち
ですが、実は別のコースも用意されていました。

出航が天候任せなこと、船が小さいためにしばしば海難事故を
起こしていたこと、さらには船酔いを嫌う旅人達など、できるなら
「七里の渡し」を避けたいとする人達も少なからずいたからです。

そうしたコースの一つが、「41宮宿」から陸路(佐屋街道)で西の
「佐屋宿」へ入り、そこから「42桑名宿」まで川の渡し舟を利用
する方法で、これは「三里の渡し」と呼ばれていました。

「七里の渡し」に比べて、いささか遠回りにはなりましたが、旅程
変更や事故・船酔いのリスクが小さいことと、途中津島神社に
参詣できることもあって、一般観光客?は勿論のこと、道中の
物騒を心配する女性たちにも人気が高かったとされています。

では「尾張国」→「伊勢国」の経路は、この二つだけかといえば、
実はまだ他にもありました。
鉄道なら一種の「超特急」?、SF用語なら「ワープ航路」?と
いった感じのコースです。

「41宮宿」までは同じ・・・しかし、ここから先を「各駅停車」?
せずに、船で一足飛びに「43四日市宿」まで渡るコースで、
これも同様に、その距離から「十里の渡し」と呼ばれました。


53次宮51 53次桑名52







         41 宮宿 ← 「七里の渡し」 → 42 桑名宿

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「41宮宿」からダイレクトに「43四日市宿」へ移動するこのコース
を選べば、「42桑名宿」から「43四日市宿」間約12.5Kmの
徒歩路を省略できたわけですから、いわば「超特急」?もどきの
感覚といったところでしょうか。

ですから、旅を急ぐ人、多忙なビジネスマン?など、それなりに
利用されたことが想像されます。
事実、徳川家康(1543-1616年)も、江戸と上方を往復する際には
この航路を使っていたようです。

ところが、この「十里の渡し」が人気を集めるということは、コース
外れになった「42桑名宿」からすれば、お客を取られるということ
ですから、指をくわえて見ているわけにもいきません。

当然、両者の論争、訴訟合戦?にも発展します。
「42桑名宿」の言い分。
「七里の渡し」こそが由緒ある正式のルートであるからして、
  やはり、「42桑名宿」こそが真っ当な港であり宿場であるッ!〜


「43四日市宿」の言い分。
〜何をおっしゃる桑名サン! “本能寺の変”(1582年)の折、
  伊賀越えを決行された神君・家康公が海を渡られたのは、
  この四日市からでっせ・・・由緒なら断然こちらにあるッ!〜

※これには、津、鈴鹿、四日市などの諸説があるそうです。

実際、「42桑名宿」から道中奉行に宛てて、こんな願書(1742年)
提出されたことも伝わっています。
〜確かに、公用及び諸大名様には「七里の渡し」をご愛顧いただ
  いておりますが、一般庶民の多くが「42桑名宿」飛ばしの
  「十里の渡し」を利用している現状では商売もあがったりで
  ございます・・・何卒よしなにお取り計らいをネ〜


今の言葉なら、「陳情」?「ロビー活動」?ということになるので
しょうか。 この顛末がどうなったものか詳しくは知りませんが、
いずれの「渡し」も、江戸幕府の終焉とともに、すなわち明治に
入ると廃止に追い込まれていきました。

1872年、「熱田」⇔「桑名」間に新東海道(前ケ須街道)が定め
られた後には、航路である「七里の渡し」「三里の渡し」も寂れ、
やがて廃止に。

また、「十里の渡し」も、その後しばらくは続いたものの結局は
同じ運命を辿りました。
「渡し」が担ってきた、いわゆる「時代的役割」を終えたということ
でしょうか。

そこで、今度は「私」が担ってきた「時代的役割」の方も振り返って
みるのですが、こちらは「終えた・終えない」という問題ではなく、
ハナから「無かった」ことに今気が付いたところです。



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