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zoom RSS 日本史の「トホホ」18 加賀百万石のクール宅急便

<<   作成日時 : 2015/12/05 00:01   >>

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前田利家(1538?-1599年)は、豊臣秀吉(1537-1598年)政権下で
大幹部・五大老の一人として、徳川家康(1543-1616年)とともに
その職責を務めていました。

しかし、その後の流れは以下のように変化します。
○1598年 豊臣秀吉の死 (享年62)
○1599年 前田利家の死 (享年62?) 後継は長男・利長     
○1600年 家康から向けられた謀反の疑いを解くために、
       故・利家の妻・まつ(芳春院)を人質として江戸へ
○1600年 「関ヶ原の戦い」 徳川方の大勝利
○1603年 家康が征夷大将軍に(江戸幕府の創立)

ちなみに、後に江戸幕藩体制において諸大名妻子の
江戸居住制(人質政策)が定着しますが、その第一号が
この「故・利家の妻・まつ(芳春院)」ということになります。

つまり、利家死後の前田家は、家康に対していち早く恭順の意を
示した、早い話が、あっさりその「軍門に下った」わけです。
家康に睨まれた立場にあったことを考えれば、御家の安泰を
計るためには、これも仕方のない選択だったのでしょう。

さて、前田家はその後も徳川家(将軍家)に対しての「気配り」を
欠かすことはありませんでした。 そのひとつに今回タイトルと
した「加賀百万石のクール宅急便」?が挙げられます。
「御雪献上」「御氷様」とも言われています。

要するに、加賀領内で採取した「雪(氷)」を貯氷蔵に蓄えて
おき、一旦これを前田家江戸屋敷に設けた氷室(冷蔵小屋?)まで
運び入れ、これを6月1日(旧暦/六月朔日)に駕籠行列を連ねて、
江戸城内に届けた行事を指しています。

“加賀藩主”前田利常が始めたこのイベント?は、結局幕末
まで続けられたとされていますから、要するに加賀藩としては
他藩との違いをアピールするための、派手で賑やかな「ご機嫌
取り」?「御中元」?ほどの意味合いがあったのでしょう。

※少し複雑ですが、“加賀前田家”としては初代が「利家」で、
  以降、2代「利長」=利家長男、3代「利常」=利家四男となり、
  “加賀藩”としては藩祖(初代)「利長」、第2代藩主「利常」となるようです。

前田家氷室小屋51 














将軍家に「雪氷」を献上するために建てられた「氷室小屋」

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さて、通常なら10日ほどを要する、この金沢→江戸間約500kmを、
「加賀百万石のクール宅急便」?は、交代人夫を動員するなど
して、約5日間で運んだとされています。

この旧暦六月朔日のこのイベント?は、江戸市民にとっても
大層楽しみな夏の行事となり、加賀藩「御氷様」の駕籠には
行列をなして大勢の見物人が集まるほどのものでした。
冷蔵庫のない時代の「夏の氷」が、いかに心躍る珍しい物で
あったかを物語るエピソードです。

では、江戸庶民にこれほど好奇の目を向けられたこの「加賀
百万石のクール宅急便」?
が運んだ珍重品を、将軍が口に
したかといえば、そうでもなく、大奥など周囲の者たちに実に
気前よくプレゼント?していました。

うーん、上に立つ人というのは、さすがに太っ腹だッ!
ところがこれは大きな誤解で、口にしなかった本当の理由は、
〜土中にあったため、雪塊の汚れがひどかったから〜 
・・・うーん、少し残念で、少しトホホな真相です。

しかし、こうした地道な努力?ゴマスリ?が認められたものか、
前田家は外様大名にありながら、幕府から別格の扱いを受ける
ようになっています。 

○大名中最大の石高(102万5千石)を領した
○準親藩の扱い/松平姓と葵紋が下賜された
○3代・光高以降の代々藩主は将軍から偏諱を賜った
○他の大名よりも高い官位/御三家に準ずる詰所
○「一国一城令」の後にも「一国二城」が許された

※三代将軍・家光から偏諱を賜り「光高」と名乗る/旧名「利高」

こうした「特別待遇」は、将軍家との姻戚関係が長く続いていた
ことの現れでしょう。
その象徴的な出来事として、「オットセイ将軍」※1こと第11代
将軍・家斉の第21女・溶姫(やすひめ)と、第13代前田家藩主・
斉泰との婚儀(1827年)※2が挙げられます。
※1・精力絶倫で男子26人・女子27人を儲けた。(成年まで生きたのは28名)
※2・東京大学「赤門」は、この折に前田家江戸屋敷に建設されたもの。


なにせ将軍の姫との婚儀ですから、前田家としても準備・婚儀・
御祝いなどで、てんてこ舞いを演じたはずで、そしておそらくは
この「加賀百万石のクール宅急便」?に匹敵する「珍重品」が
行き来したであろうことは容易に想像されるところです。
しかしながら、その辺の詳細については寡聞にして存じません。
・・・尻切れトンボのお話しで、えろうスマンことでございます。




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