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zoom RSS 日本史の「列伝」09 海舟の♪浪花節だよ人生は

<<   作成日時 : 2015/11/30 00:01   >>

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維新直前の1858年のこと、演習航海を兼ねた長崎海軍伝習所
の練習艦・咸臨丸は、幕臣・勝海舟や練習生たちを乗せ、
薩摩の山川港へ入りました。

そしてこの時、薩摩藩主・島津斉彬(1809-1858年)が自ら
咸臨丸を訪ねたことが、幕臣・勝海舟(1823-1899年)との最初の
出会いになりました。

「黒船来航」(1853年)以降、世情不安定にあるただ中で、
幕臣と外様大名という垣根を超え、二人は開国や国防について
語り合い、その結果、大いに意気投合したとされていますから
「偉い人」と言われる人はやっぱりエラい!

この時の斉彬は、海舟という人物をよほど評価したものか、
側近の西郷隆盛(1828-1877年)に、こう話したそうです。
〜幕臣の中にもトンデモなく凄え奴がいるゾ〜

さて、この航海演習は薩摩のあとに琉球へ向かう予定になって
いましたが、しかし斉彬にとって、これは「迷惑」な話でした。
なぜなら、その琉球や奄美で薩摩藩は、「幕府法」?に抵触する
密貿易を大々的に?行なっていたからです。

幕府とてそれを知らぬわけではなく、いわゆる「黙認」の形を
取っていたものの、裏を返せば、薩摩藩に対する処置はいつ
でもどのようにもでもできる立場にあるということです。

そうした「弱い立場」だけに、幕府側の人間に「本拠地」に乗り
込まれるのは、斉彬もさすがにマズイと考えたのでしょう。
琉球行きを伝えた海舟に向かって、こう打ち明けました。
〜琉球には幕府に内緒の事もあるから、それはチョット困る〜

そうした行動の裏には、幕藩体制の先を見据える見識が斉彬
あってのことと察知した海舟でしたが、しかし幕臣の身とあれば
勝手に予定を変えるわけにはいきません。

そこでどうしたか? 
日本人の好きな「♪浪花節だよ人生は」が演じられたわけです。


江戸開城52 五箇条の御誓文01












 左)西郷隆盛/右)勝海舟   同日京都では「五箇条の御誓文」が布告
 「江戸開城談判」(結城素明画)
 1868年4月6日 江戸/薩摩藩邸
※西郷と勝の二人のみが面会したように描かれていますが、
  実際には東征軍側にも徳川家側にも同席した人物がいたようです。

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義理(琉球行き決行)人情(琉球行き取止)の板ばさみ〜の状況に
置かれたのですから、確かに海舟の立場には苦しいものが
ありました。

幕臣としての職責を果たすべきか、それとも一日本人として、
国の将来を考えるべきか、おそらくはハムレット級の苦悩だった
ことでしょう。

結論を言えば、海舟はちゃっかりその両方を果たしました。
船は山川港を出て、いったん鹿児島港へ寄り、その後は予定の
通りに南へ向かって、つまり琉球を目指して出港したのです。

船は進む・・・さらに進む。 そのうちに、空を見上げていた海舟
が頃合を見計らってこう言いました。
〜あぁいかんゾこれは、どうも嵐になりそうな雲行きだ・・・
  遭難は真っ平! えぇい、引き返すことにするぞッ〜

実際はそんな空模様でもなかったようですが。

つまり、海舟はその才覚をもって、形の上では幕臣としての
職責も果たしたばかりか、その上に、斉彬が持つ折角の見識
を挫折させることのないよう、実に巧妙な行動を選択したという
ことです。

この辺は、いかにも日本人好みの「浪花節」風のお話ですが、
しかし考えてみれば、海舟にとっても斉彬にとっても、絶対の
「秘密事項」であるはずのこの一件が、ちゃんと現在まで伝えら
れているのも不思議といえば不思議なことです。

すると、当事者の一方が漏らしたことも当然考えられます。
もしそうなら、その年の内に亡くなった斉彬ではなく、明治に
なってからも新政府の要職を務め続けた海舟の方でしょう。
ひょっとしたら、ご本人の回想録「氷川清話」あたりにも載せて
いるエピソードなのかもしれません。

ただこの「氷川清話」には、海舟お得意の多少ほら話?めいた
内容も混在しているそうですから、仮にこの「Uターン航海」の
お話が紹介されていたとしても、やや割り引いて受け止める
必要はありそうです。

それにしても、江戸市中を焦土にすることなく「江戸城無血開城」
(1868年)に至った経緯にしたところで、この海舟斉彬側近・
西郷隆盛という腹の据わった人物がいなかったら、こうまで
犠牲者の少ない形で事が運んだかどうか分かりません。

その意味ではこの時、勝海舟島津斉彬出会ったことは、
その後の「日本」にとっては大いなる僥倖でした。
もっとも、こんな言葉で昔日を回想?する既婚者も少なくない
そうですが。 〜あゝ、あの時出会ってさえいなければ・・・〜




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