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zoom RSS 日本史の「列伝」08 戦さに散った戦国一家

<<   作成日時 : 2015/11/15 00:01   >>

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尾張国出身の戦国武将・森可成(もり・よしなり/1523-1570年/
享年48)
には、以下の順に六人の息子がいました。
長男・可隆 ( よしたか/1552-1570年) 享年19
次男・長可 ( ながよし/1558-1584年) 享年27
三男・成利 ( なりとし/1565-1582年) 享年18 ※蘭丸(信長小姓)
四男・長隆 (ながたか/1566-1582年) 享年17 ※坊丸(信長小姓) 
五男・長氏 ( ながうじ/1567-1582年) 享年16 ※力丸(信長小姓)
六男・忠政 ( ただまさ/1570-1634年) 享年65

そして、それぞれの没年から分かるとおり、信長以後の秀吉・
家康の時代まで生き残ることができたのは、六男・忠政ただ
一人だけ、要するに本人から見れば、戦国乱世の真っ只中で、
父も兄弟も全員を「戦さ」で失ったということです。

これも亡くなった順に見ていくと、主君・織田信長(1534-1582年)
命により、父・可成と、初陣の長男・可隆が朝倉氏との戦さに
出陣し、手筒山城を攻撃・・・これが1570年のこと。
このとき、長男・可隆は見事に城に一番乗りを果たしたものの、
深入りし過ぎたことで、敵の反撃により討死したと伝えられて
います。(享年19)

この数ヶ月後の「宇佐山の戦い」では、今度は父・可成
長男・可隆の後を追うようにして、同じく戦死。(享年48) 
そしてその十二年後には、明智光秀による謀反「本能寺の変」
(1582年)が勃発しました。

この時、小姓として信長の身近に仕えていたのが、三男・蘭丸
四男・坊丸五男・力丸で、明智軍相手に奮戦したものの、
結局は三人ともが命を落としました。(享年18・17・16)

これに留まらず、信長亡き後には、「羽柴秀吉」VS「織田信雄+
徳川家康」の直接対決「小牧長久手の戦い」(1584年)が起き、
このとき秀吉側から参戦した、「鬼武蔵」との異名も頂戴した
さすがの次男・長可も、徳川方鉄砲隊の狙撃に合い、眉間を
撃ち抜かれ即死。(享年27)

そして、父・可成長男・可隆亡き後の家督は、この次男・長可
相続していましたから、この後はこの時点で生き残っていた
六男・忠政へと運ぶのが、まあ常識的なところですが・・・
 

プライベート・ライアン51 森蘭丸51









     映画「プライベート・ライアン」       三男・蘭丸(森成利)

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ところが、次男・長可の遺言状にはこう書かれていたとか。
六男・忠政への家督相続はイヤなこっちゃッ!〜

12歳も年下の弟(当時15)を頼りなく思っていたものか、あるいは
当時の政治状況を睨んだ上での判断だったのか、それとも別の
事情を抱えていたものか、その辺はよくわかりません。

しかし、多少複雑な経緯・紆余曲折は経たものの、この意外?な
遺言状も、結局のところは六男・忠政が「家督相続」することで
落ち着いたようです。

その後の二度に渡る「大阪の陣」(1614年/1615年)にも、この
六男・忠政は参戦しました。 その折には上司?とのモメ事など、
それなりの話題?も提供したようですが、その20年後の1634年、
食中毒?が原因で「畳の上」?で死亡。(享年65) 

つまり、森家の六男・忠政は、父よりも、そして兄弟の誰よりも
長い人生を送ったことになるわけです。

さて、何人もの兄弟がいながら次々と「戦死」して、末弟がたった
一人生き残るというお話は、映画「プライベート・ライアン」
思い起こさせるものがあります。
※ スティーヴン・スピルバーグ監督/1998年

四人兄弟のうち兄三人が戦死、残った末弟も前線の戦闘に
加わっていることを知った軍上層部が、この末弟を生還させる
べく異例?の命令を下し、八人の兵士がその任務を遂行すると
いうお話です。 原題は "Saving Private Ryan" 「兵卒ライアンの救出」

多くの犠牲者を出しながらも、見事にこの「救出作戦」を成功に
導いた指揮官(自らも戦死)の墓の前に立つ「兵卒ライアン」の
年老いた姿が、この映画のラストシーン。
その墓前で、「兵卒ライアン」は自らにこう問いかけます。
〜私は(あなたたちが払った犠牲に見合うだけの)有意義な人生を
  送れたのだろうか?〜


そして戦国日本では、森家六男・忠政が食中毒?の床で、こう
自問していたかもしれません。
〜この乱世の中で、ワシは父チャン兄チャンたちの分まで、
  しっかり生きることができたのだろうか? 全員が「戦死」で、
  ワシだけ「腹イタ」なのが、ちょっと「引け目」だけどなぁ〜




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