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zoom RSS 日本史の「列伝」06 通訳官サトウの東奔西走

<<   作成日時 : 2015/08/05 00:01   >>

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日本名を「佐藤(薩道)愛之助」と名乗り、英国名はそれをもじった
「アーネスト・サトウ」・・・いかん、話はまったく逆で、本名が
「アーネスト・サトウ」(Ernest Mason Satow/1843-1929年)で、
それをもじった?日本名の方が「佐藤(薩道)愛之助」でした。

幕末期の1862年、駐日公使館付通訳生として横浜に着任して
います。
その名の「サトウ」もそうなら、またその役割が「通訳」(日本語に
堪能)
ということからも、「日系人」?を連想しやすいのですが、
ドッコイ、歴としたイギリス人です。

まだまだ「黒船来航」(1853年)の衝撃覚めやらずの興奮を
ひきずっていたこの頃の日本社会は、なにかと殺気立った
雰囲気がありました。
実際、サトウが着任(1862年)した直後(6日後)には、この横浜
でも薩摩藩の行列に遭遇した騎馬のイギリス人数人が殺傷
されるという、いわゆる「生麦事件」が起きています。

さて、翌年からは正式な「通訳官・サトウ」として幕末日本の
動静に深く関わるようになっていきますが、
通訳官としては、1862年〜1883年(一時帰国を含む)
駐日公使としては、1895年〜1900年 というように
延べ25年間の長きに渡って日本に滞在したことになります。
(「勲一等旭日章」を受けた1906年5月にも日本に立ち寄っている)

しかしこのサトウ、なにせ最初に翻訳した文書(1863年)が、
将軍・徳川家茂が孝明天皇に攘夷実行を約束した旨の内容
だったそうですから、現代で普通にイメージする「通訳官」とは
ちょっと違って、いやおうなく国家の最高機密にも触れざるを
得ない立場に立っていました。

事実、着任の2・3年後からは、日本側の要人たちと会う機会も
増えていき、その範囲の広がりは「一通訳官」とは思えないほど
のものになっています。

明治天皇/徳川慶喜/勝海舟/岩倉具視/三条実美/
坂本龍馬/高杉晋作/伊藤博文/品川弥二郎/井上馨/
西郷隆盛/大久保利通/桂小五郎/大隈重信/後藤象二郎
などなど、幕末維新に登場するオールスター?メンバー全員に
会っている人物と言っていいでしょう。
つまり、この時代の政治状況を最も把握していた人物の一人
だったわけです。


サトウ顔01 サトウ書01










   アーネスト・サトウ         サトウが書いた文字

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そればかりか、実は「通訳官」のイメージから少し離れた仕事にも
手をつけました。
1866年に横浜で発行された週刊英字新聞「ジャパン・タイムズ」
に匿名で論文を掲載したところ、後にこの記事が「英国策論」と
いう表題で翻訳出版されるや、大きな話題を呼んだのです。

○将軍は主権者ではないのだから、その将軍と結ばれた
  現行条約は将軍には実行できないものなんだゼ。
○だから、現行条約を廃し、新たに天皇及び連合諸大名と条約
  を結び、日本の政権を将軍から諸侯連合に移すべきだゼ。
○独立大名たちは外国との貿易に大きな関心をもってるゼ。

日本人が注目したのは、こうした内容に「明治維新」に対する
ヒントを見たからなのかもしれません。

さて、そのサトウの足跡を年代順に追ってみると、
1865年には「長州征伐」に際して、伊藤博文や井上馨たちとの
情報交換を盛んに行っています。
1867年には「大政奉還」の詳細を探知するためとか、
また「王政復古の大号令」が出されたことで、日本側要人との
会談や通訳を精力的にこなしたばかりか、「西南戦争」が勃発
した1877年には、急遽、西郷隆盛の元にも駆けつけています。
まさに「通訳官」の職分を逸脱?する勢いの行動です。

さらには日本を離れた後も、1900年から1906年の間は駐清公使
として清朝末期の動乱「義和団の乱」(1900年)の後始末にも
携わっており、激動のアジアが変貌していく姿を間近で見た
「歴史の目撃者」でもありました。

では、「通訳官・サトウ」の日本語能力はいかほどだったのか?
まずは「書く」方の腕前は上の写真の通りの筆跡ですから、もう
脱帽するほかありません。 なら「日本語」の会話力の方は?

こちらは、実話なのか都市伝説なのかは不明ですが、ともかく、
こんなエピソードが残されるほどの会話力だったようです。 
「あんた、日本語が巧いねえ」と見知らぬ日本人から褒められた
折に返した言葉がこれ。 〜おだてとモッコにゃ乗りたくねぇな〜

もっとも、最近の日本若人衆の中にはこの言葉の意味が
分からず、早々に投げ出す向きもあるようですが・・・
「モッコ」と「ラッコ」はまったく別物ですゼ、若い衆よ!




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