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zoom RSS 日本史の「忘れ物」20 能はマルだが芝居はペケだ

<<   作成日時 : 2015/04/10 00:01   >>

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現代での人気度を比べるなら、「歌舞伎」の方が「能」よりは
いささか上という雰囲気を感じます。
ところが少し前の時代だと、これが逆になる印象で、実際
江戸幕府が「式楽」として採用していたのは「歌舞伎」ではなく、
「能」の方でした。
もちろんそこには伝統ある「能」に対し、駆け出しの「歌舞伎」
いう大きなハンディもあったのでしょうが、でも理由は本当に
それだけだったのか? ※公式行事に用いる音楽や舞踊。

庶民階級が「歌舞伎(芝居)」の方を贔屓にしたのに対し、その
上に立つ武士階級が古くから「能(猿楽)」に馴染んでいたという
事情も確かにありました。
しかし、実は江戸幕府自身が「芝居」を「悪しき娯楽」と見ていた
様子も伺えるのです。 ※本稿では「芝居」と表記します。

ではなぜ、江戸幕府はこんな受け止め方をしたのでしょうか?
つまり、はマル(是)だが芝居はペケ(非)だ〜です。
役者が舞台に上がって演じるスタイルは両者に共通しているの
ですから、どこかそれ以外の部分で「線引き」されたはずです。

その「線引き」は、やはり幕府お気に入りの「朱子学」ということに
なりそうで、そのキーワードのひとつはもちろん「祖法」・・・
とにかく、思い切りご先祖様を大切にする思想ですから、「祖法」
つまり、ご先祖様が決めたことを勝手に変えるなんてことは、
言語道断、犬畜生にも劣る行為ということになるわけです。

では、そんな「祖法」が本当にあったのか?
幕府の祖・徳川家康(1543-1616年)自身が武士の嗜みとして
「能」に対してそれなりの理解を示していたのは、当時の風潮と
しても頷けるところですし、また逆に「芝居」には大きな関心を
持つに至らなかったこと、これも事実でしょう。

なにせ、「歌舞伎(芝居)」が人々に注目されるようになったのは、
家康の晩年のことであり、幕府の創立期であり、かつ最大の敵・
豊臣家も健在な時期なのですから、大きな関心を示すほど
気持ちの余裕はなかったと想像されるからです。

で、家康のこの「無関心」ぶり?を巧く解釈し、説明しようとする
なら、幕府としてもこんな公式見解?にならざるを得ません。 
〜神君・家康公はその無言の態度をもって、“はマルだが
  芝居はペケだ”とのお考えを示されておった〜


能翁01 歌舞伎芝居01







          「能」     「芝居」

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それにもうひとつ、「朱子学」には「嘘は悪いこと」とするモノサシも
あります。 
つまり「フィクション」とは創作ですから、煎じ詰めれば「嘘」という
言い方もできるわけで、この理屈を「芝居」に当てはめれば、
〜話がとことんウソ(虚構)の塊で、実に不埒・不道徳である!〜

そうは言われても、「ノンフィクション(実話)」?の形にしようもの
なら、「御政道批判」との疑惑?の視線を招く恐れもあるために、
「芝居」を作る側としては、結局のところ「フィクション(虚構)」の
道しか残されていません。 そこで、売り言葉に買い言葉。 
「能」だって五十歩百歩、似たようなものじゃないか!〜

しかしこれは、幕府からすればとんでもない「イチャモン」で、
〜バカをこくでない! 悪辣なウソの塊である「芝居」とは違って、
  ええか、「能」“歴史”という高尚な”学問”なんだゾ〜

つまり、歌と舞を付けた形で“歴史”の真実を教授しているのが
「能」である。 だから、これを“ウソ”まみれの「芝居」と同様に
扱うのはミソとクソを一緒にするようなものだ、との言い分です。

確かに「能」の場合、主人公のほとんどは亡霊であり、その舞台
の多くは古跡・古戦場などですから、その点を重視するなら、
学問「歴史」であるという言い分にも多少の理屈はありそうです。
そうすると、幕府の見解はさらに飛躍していきます。

〜国を預かる政府(幕府)としては、社会の公序良俗を守るため
  にも、退廃的で風俗紊乱系である悪しき娯楽「芝居」に一定の
  歯止めをかけることは、当然の責務である〜

で結局のところ、採点”マル”の「能」が「式楽」の座を射止め、
採点”ペケ”の「芝居」は当局?の検閲対象になったわけです。

で現代になってその両者を比較してみると、長らく「親方日の丸」
の座にあった「能」の方には、いささかの低迷感?が漂うのに
ひきかえ、折に触れ弾圧されてきた「芝居(歌舞伎)」の方は
結構商売繁盛?のご様子です。

この姿は、政府の「保護」というものはその時はありがたいに
しても、長い目で見れば結局はマイナス面の方が大きくなって
しまう事実?を物語っているのかもしれません。

してみると、〜艱難汝を玉にす(かんなん・なんじを・たまにす)とか、
〜若い時の苦労は買ってでもせよ〜 う〜ん、こうした格言は、
確かに真理の一端を突いているのかもしれんなあ。 あれッ
オーノー(能)!・・・妙に“芝居”じみた感慨になっちゃった!




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