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zoom RSS 日本史の「言葉」17 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる

<<   作成日時 : 2015/02/15 00:01   >>

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豊臣家と徳川家の対峙は、このような経緯を辿りました。
○1598年 「豊臣秀吉」(1537-1598年)の死去
○1600年 「関が原の戦い」 名目は豊臣家の逆賊を成敗
○1603年 「江戸幕府」を開く 初代将軍・徳川家康
○1605年 「家康隠居(大御所に)」 息子・秀忠が「2代将軍」に
○1614年 「方広寺鐘銘事件」 徳川方が難クセをつける
○1614年 「大阪冬の陣」 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる
○1615年 「大阪夏の陣」 淀殿・秀頼自害、豊臣家滅亡
○1616年 「徳川家康」(1543-1616年)の死去

こうして眺めてみると、家康が「豊臣家」を滅ぼす意志を固めた
時期は最晩年の1614年以降だったように見えます。
事実、家康は徳川政権下での「豊臣家存続」のプランも持って
いたフシが伺えるのですが、それがポツになった原因は、
この時の豊臣家のボス?「淀殿」のあまりにもかたくなな態度に
あったのかもしれません。

〜なにさ、元はと言えば、ウチのトウチャン(秀吉)の家来だった
  家康風情が、偉そうに今度は“ワシの家来になれ”ってか?〜

プライドの高い女性にとって、こうした“主従逆転”の現実は容易
に受け入れられるものではなかったのでしょう。

この淀殿のツッパリを見た家康は決断します。
〜天下に二つの勢力があれば、また「戦国乱世」に戻ってしまう
  ことは必至・・・元来が平和主義者?のワシとしては、この際
  断固として、その芽を摘んでおかねばなるまいゾ〜


こうした流れで、豊臣家VS徳川家のガチンコ対決「大阪冬の陣」
が展開されたわけですが、豊臣方が大阪城を拠点に集結すれば
徳川方はその周囲を取り囲む作戦に出ました。

しかし、なにせその「大阪城」は難攻不落・天下の名城ですから、
徳川方としても、さすがに「落城」させるまでの自信は持て
ません。 実際、城内に攻め入ろうとしたものの逆にコテンパンの
目に遭い、多大な損害を蒙っています。

さりとて豊臣方としても、「野戦名人」家康を相手に廻して、城を
打って出る作戦も採れず、つまりは両陣営ともに動きに窮して
いたわけです。


大砲51 淀殿51 









    17世紀のカノン砲    wikipedia      淀殿

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そこで浮上したのが「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」作戦です。
もっとも、こんな無責任でマヌケな命名をしたのは当事者では
なくて、実はワタシが真犯人なんですが・・・

簡単に言えば、「武力戦」から「心理戦」に切り替えたもので、
総数300門以上?といわれる大量の大砲を、城のあちこちに
配備した上で、標的「大阪城」に向け、とにかくひたすら無心に
撃ちまくる・・・といういたってシンプル?な作戦です。

当時の大砲の性能では、「標的」を定めたところで滅多なことで
命中するものではなく、また砲弾にしたところで、炸裂はしない
ただの「球」ですから、もとより大した「戦闘効果」は期待はでき
ません。

とはいうものの、「大阪城内」にしてみれば「辛抱たまらん」ほど
うっとうしい轟音が、昼夜を分かたず四六時中「GBM」?として
響き渡っていることになるわけです。 で、やっぱりのところ
「うっとうしい」というだけでお話は済みませんでした。

豊臣方にしてみれば「あり得ない不運」、徳川方にしてみれば
「望外の幸運」ということになるのでしょうが、たまたま砲弾の
一発が天守に命中し柱を崩壊させ、さらにもう一発が淀殿の
居所近くを直撃したとされています。

侍女に死者が出た?ために、その場はパニック状態に陥り、
これには淀殿も心底からビビッてしまった・・・どのくらいビビッた
かと言えば、従来の態度を一変させるほどのものでした。
〜ひえぃ、和議じゃ和議じゃ、断然和議じゃゾ〜

プライドの高い女性が、なりふり構わずこう言った?のですから、
メッチャ恐怖だったんでしょうねえ・・・きっとなら。
でも、先の年表で示した通り、この方針転換が結局のところ
翌年の「豊臣家滅亡」へと直結していくことになります。

プライド高き淀殿に、ましてや究極のパニック状態にあるときに、
息子・秀頼や雇われ武将たちの冷静な「ご意見具申」が聞き
入れられるはずもありません。
そうすると、徳川方の「下手な鉄砲」こそが、ドン?淀殿の
「プライド」を打ち砕き、アッという間に豊臣家を「制御不能」な
状況に追い込んだことになりそうです。

「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ってか・・・なるほど、そうかッ!
さりとて、宝クジを大量買いすれば必ず“当たる”ということでも
なさそうですので、この点は十分な警戒が必要ですね。




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日本史の「言葉」18 ”不徳の致すところ”物語
孔子さんの「儒教」には、徳治主義ともいうべき独特の政治理念・ 思想が持ち込まれています。 簡単に言うなら、統治者が「有徳者」である世の中は上手く運ぶ けれど「不徳」の統治者の場合はそうはならないという考え方で、 この理念?の迫力は施策の可否だけでなく、疫病・飢饉・天変 地異などの自然現象までをも施政者の「徳の有無」に求めた ことです。  つまり、〜上に立つアイツが不徳だから、こんな災いを招いて しまったのだ〜という因果で語られるわけです。 ...続きを見る
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