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zoom RSS 日本史の「トホホ」15 万次郎の難儀な通訳術

<<   作成日時 : 2015/01/10 00:01   >>

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幕末期、日本の開国を巡る「日米交渉」では、当然ながら
両国間の「言葉の壁」という大きな問題がありました。 
日本語を英語に、またその逆を自在にこなせる、つまり「通訳」
を必要としたわけです。

その日本側の候補者の一人が土佐出身の元漁師・万次郎
(1827-1898年)でした。 と言うのは、漁に出た折に遭難(1841年
/15歳)
し、その後10年ほどのアメリカ生活を体験していたことも
あって、とりわけ英会話に堪能だったからです。

しかも帰国後(1852年/26歳)には、士分に取り立てられて
いましたから、身分的にも幕府のお手伝いをするに不足は
ありません。 ※「中濱」姓を名乗る

ですから現代日本人としては、こう考えたくなるところです。
〜恰好の通訳を得たからには、「日米交渉」(1854年)における
  言葉の問題は一件落着・・・良かったじゃないか!〜
 
ところが、実はいささかの問題も抱えていて、ドッコイそうは
問屋が卸しませんでした。 

○少年漁師・万次郎が知る「日本語」とは、つまり生まれ故郷の
  「土佐言葉」であり、それ以外の言葉は話せなかった。
○その「土佐言葉」も滞米中は使うことがなかったため、帰国時
  にはほとんど忘れ、話すことさえままならなくなっていた。
  ※つまり「期待されるレベルの日本語能力」は望み薄だった?

○また、元々少年漁師にすぎなかった万次郎は、日本語の
  「読み書き」の習熟度が必ずしも十分ではなかった。

○特異な経歴から、士分・旗本の身分を与えられたとはいえ、
  幕閣にとっては迷惑な存在だった・・・つまり「元漁師」ごとき
  出自賤しい若造を、神聖な御政道(日米交渉)に参加させる
  こと自体が不愉快極まることだった。

あれやこれやで、では万次郎は一体どうなったのか?
結局のところ、通訳担当から外されて、「陰のアドバイザー」
「縁の下の力持ち」の働きに徹するほかありませんでした。

さて、以上を踏まえた上で想像するに、もしこの通訳を万次郎
務めたとしたなら、多分こんな運びになっていたのでは?


中濱万次郎 黒船サスケハナ51 ペリー01







    中濱万次郎      黒船/サスケハナ号     マシュー・ペリー

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まずはペリーが → 「英語で話す」
 次に万次郎が → 「聞いたその英語を(変な)土佐言葉に直す」
さらに別通訳が → 「土佐言葉?を幕閣に分かる言葉に直す」
そして、幕閣が → 「(やっとのことで理解でき) あっ、そうなの!」
幕閣からの発言は、この逆の手順を辿ることになります。
いささかトホホな上に、随分と手間のかかる交渉になりそうです。

〜だったら、万次郎が加わらなくって正解だったのでは?〜
しかしこう考えるのも、実は少しばかり短絡的に過ぎるのです。
というのは、実際の交渉も負けず劣らず手間のかかる通訳
システムになったからです。

もっとも、当初から「英語→日本語」(その逆)の直接通訳を
望んでいたアメリカ側にも、トホホな頓挫があるにはありました。
白羽の矢を立てた通訳担当者自身が尻込みしたのです。
〜ゲッ! 直接通訳でっか!・・・そこまでの日本語能力は、
  このワテにはおませんでぇ・・・えろうスンマへン〜


そうしたこともあって結局、日本側にもアメリカ側にも理解できる
もう一つの外国語「オランダ語」を挟むこととして、日本側からは
「オランダ語通訳」が、アメリカ側からは同じく「オランダ語通訳」
や「漢文担当通訳官」を参加させることにしました。
ですから、基本的には「英語→オランダ語→日本語(漢文)」
またはその逆の手順を踏んだということなのでしょう。

実際、日米和親条約の文言も日本語版、英語版に加えて
漢文版、オランダ語版が作成されました。
ですから、万次郎の参加があろうがなかろうが、そうした煩雑さは
元から覚悟が必要だったということになります。

さて、その万次郎も、米国滞在10年でかなり「日本語」を忘れ、
また晩年は長い間使わなくなっていた「英語」の方が話せなく
なっていたそうですから、言葉というものは案外に忘れやすい
ものなのかもしれません。

そういえばワタシも最近めっきり「フランス語」を使わなくなって
しまいましたが、だだこれは「話さない」というより、単にモトから
「話せない」だけの現象ですので、ご心配は無用に願います。





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
中浜万次郎さんが「通訳」はだめだったというのはどうでしょうか。日本語はあらためて正式に習われたようです。日本語英語辞書のようなものが残されています。また、東大の教授にもなったと習った記憶もあります。その辺を詳しくお願いします。
古代子孫
2015/02/02 18:23
>古代子孫さんへ

コメントありがとうございます。
実際には幕閣から持ち上がった万次郎に対する
「スパイ疑惑」が「通訳降板」の一番大きな
要因だったとされているようです。
ですから、幕閣エリートたちは元漁師・万次郎
に全幅の信頼を寄せてはいなかったということ
なのでしょう。
ですから「もしも」のお話ですが、万次郎が
通訳を務めたとしたら、異なった点でトラブル
が発生していたのかもしれませんね。
住兵衛
URL
2015/02/03 08:55

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