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zoom RSS 日本史の「トホホ」14 看板倒れ?征夷大将軍

<<   作成日時 : 2014/12/15 00:01   >>

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そもそも「征夷(大)将軍」とは、「東夷」(東の野蛮人・異民族)
「征伐」する戦いの「司令官」?ほどの意味とされています。

ちなみに、西方面は「征西将軍」、北は「鎮狄将軍」と言い、
これは中華思想の「東夷・西戎・南蛮・北狄」から来ている
そうですから、だったら、本来の「征夷大将軍」とは、多数いる
「将軍」の内の一人ということになります。
※我が国の東・西・南・北の地域に住むのは野蛮人ばかりという意識。

この役職?に目をつけ、「武士」の手中に収めようとしたのが
最初の武家政権である「鎌倉幕府」でした。  もちろんのこと、
朝廷側は「武士の征夷大将軍」に対して大いなる難色を示し
ましたが、こんな言葉をかまされてちょいと窮しました。

武士 「東夷をやっつけるための幕府(前線基地)の司令官なの
    ですから、やっぱし武士が適任でしょうに・・・それとも、
    なんなら朝廷御自らが踏ん張ってみますか?」

朝廷にはそれだけの軍事力がないことを知っていてこう言うの
ですから、いささか意地の悪いところがあります。

朝廷 「ほんなら、まあ “征夷大将軍” は認めてはやるが、
    あくまでも一前線基地の一司令官に過ぎないこと、
    要するに”分”を忘れてはならんぞよ」

武士 「へい、きっと忘れませんともッ!(心の中では舌を出す)

こうして鎌倉幕府以後、江戸幕府終焉までの約700年ほどの間、
「征夷大将軍」を長とする武家政権が続くことになりました。
ですから言い替えれば、異民族・外国人征伐に関して日本一の
実力者こそが「征夷大将軍」ということになるはずです。

ところが江戸幕末・・・朝廷トップの孝明天皇(1831-1867)を先頭に
して、日本中で「攘夷」(外国人は追っ払え)が声高に叫ばれる中、
真っ先に開国(日米和親条約/1854年)に踏み切ったのは、なんと
その「征伐・第一人者」である「征夷大将軍」率いる幕府でした。

〜おいおい、国民世論が攘夷一辺倒なのに、征夷大将軍の売り
  である「征夷(攘夷)」はどこへ行っちゃたんだ?〜

誰だって、このくらいの「違和感」は覚えたことでしょう。

「征夷」(外国人征伐)を実行しない「征夷大将軍」であり、「幕府」と
いうことでは、その存在意義を疑われても仕方ありません。


公武合体家茂51 公武合体和宮51 公武合体孝明51










  将軍・徳川家茂        皇女和宮          孝明天皇

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で、孝明天皇ご自身が幕府の尻を叩くことになりました。
天皇 「ええか、朕の妹を嫁にやるからして、将軍よ、絶対に
    “攘夷”を貫徹するのだゾ、ええか分かったかッ!」

将軍 「・・・あいかしこまりましたッ!(ええッ、いまさらどうしたら?)」

こうした「お約束」の下に、この14代将軍・家茂(1846-1866年)と、
孝明天皇の妹君である和宮(1846-1877年)の若い夫婦(共に17歳)
が誕生したのが1862年のこと、いわゆる「公武合体」です。

朝廷→公武←幕府

ところがそれより四年も前の1858年のこと、日米間の「修好通商
条約」に際し、その批准書に署名しているのが他ならぬ家茂
ご本人なのですから、いくら天皇に「攘夷」を約束したところで
実行できるものでもありません。

で、その後数多の紆余曲折を経て、結局のところ「開国」の運び
となり、その際江戸幕府の代わって明治新政府が樹立された
のはご存知の通り。

その混沌の中には征夷大将軍たる徳川家茂(1866年/21歳)や、
頑迷攘夷論者である孝明天皇(1867年/37歳)ご自身のいささか
若すぎる「死」もありました。
しかし、なぜまた「征夷大将軍」は、本分である「攘夷」を守り
きれなかったのでしょうか?

国民 「そうともッ! 国民が“攘夷”で盛り上がっていたのにダ、
    それを実行できなかった“征夷大将軍”なんて、いいかげん
    無様でトホホでカッコ悪いッ! これでは看板倒れだッ!」

将軍 「それは誤解というものじゃゾ・・・考えてもみよ、今回の
    ”蛮族”は“西洋民族”であり、ワシは“征夷大将軍”だゾ」

国民 「お言葉の意味がイマイチ分かりませぬが?」

将軍 「ええか、西洋野蛮人すなわち「西戎」担当は、その昔から
    “征西将軍”の仕事とされておる。 つまりそもそもが、
    東夷担当の“征夷大将軍”の守備範囲ではないのだ」


だから、”攘夷貫徹”ができなかった責任を「征夷大将軍」に問う
こと自体が“筋違い”ってか? 
う〜ん、なるほど、そんな理屈もあったのかッ!




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