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zoom RSS 日本史の「冗談?」12 朝廷公家の超貧乏競争

<<   作成日時 : 2014/12/10 00:01   >>

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武家政権時代の朝廷・公家は、経済的にかなり苦しい状況に
おかれていました。 天皇ご自身とて決してその例外ではなく、
中には立派な?「貧乏ぶり」でユニークなエピソードを残された
方も少なくありません。 ちょっと例を挙げればこんな具合です。

第103代・後土御門天皇 (1442-1500年/在位:1464-1500年)
→費用が工面できなかったために死後40日も御葬式ができず、
  お気の毒なことに御遺体も腐乱しちゃったとか。

第104代・後柏原天皇 (1464-1526年/在位:1500-1526年)
→践祚(皇位継承)はしたものの、正式な「即位式」資金を捻出
  できなくて、26年もの”長期延期”をされたということです。

第105代・後奈良天皇 (1497-1557年/在位:1526-1557年)
→相手が金満家と見れば人の迷惑も顧みず、とことん精力的に
  「サイン入り色紙」?の押し売りに努めました。

こうした状況は江戸時代に入っても基本的に変わることがなく、
この頃は幕府400万石に対し、朝廷・公家の側は全部を合算
してもせいぜい15万石程度だったといわれているようですから、
してみると朝廷・公家のお歴々は、武士のさらにその上をいく
「超貧乏」に喘いでいたことになります。

公家トップの地位を誇る五摂家の、そのまたトップの「近衛家」
でさえ、旗本と比べてもどっこいどっこいのレベルで、その他の
公家といえば、なんと九割方が300石以下だったとか。
※よくは分かりませんが、現代ならこんな感覚でしょうか?
  〜多数の社員を抱え込んでいる年商3,000万円の会社?〜


しかし、いかに「雅(みやび)」が売りの朝廷・公家とはいえ、
「食って」いかねばなりません。
そこで、こうした身分の方の多くが「副業」?に注目しました。

〜では、武士と並んで「傘張り」でもやっていたのか?〜
いいえ、この手のあまり「雅」には見えない仕事に目を向けない
のがお公家さんのプライドですから、たとえば自分の娘を大名の
側室に送り込む(押し売り?)などの方法に着目しています。

こうすることで、武家には”公家の親戚”という「箔」がつき、
公家は公家で武家の経済援助を受けられるのですから、双方に
とって「持ちつ持たれつ」のなかなかの名案でした。

しかしこの方法は、娘を持たない、または武士には娘をやりたく
ないと考える公家には不向きです。 では、どうしたのか?
・・・人間窮すると知恵も湧くものですねぇ。
〜「傘張り」は惨め、「娘をやる」のもシャクだ! おぉそうだっ!
  「カルチャーセンター」ならもってこいでごじゃる!〜


 後奈良天皇宸筆51 傘張り61









      後奈良天皇/和歌懐紙          武士/傘張り内職        

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その家に古くから伝わる書道・華道・歌道など格式高い文化を
指導・教授する、つまりはお稽古事の「先生・教授・師匠・家元」
となって、その「指導料」を生活費の足しにする方法です。

これはグッドアイデアでした。
というのは、第一にこれが「肉体労働」ではないことです。
もし、とてつもなく”時給の高い”アルバイトがあったとしても、
それが「肉体労働」を伴うものであったら、お公家さんはこれを
「賤しいこと」として決して関心を示すことはなかったでしょう。

二つには、これが「上から目線」を維持できる内容であったこと
です。 「教えてもらう者より教える者の方が偉い」というのは、
いつの世にも共通した人間社会のルールですからね。

しかしこうした時代を経て、伝統的な文化・芸術が今日まで継承
されたとするなら、この時代のお公家さんが超貧乏だったことは、
日本全体にとっては良いことだったかもしれません。

裕福なお公家さんばかりだったら、こうした「御家芸」は各家に
「死蔵」?されたままで公開されることもなく、運が悪ければ
忘れ去られていたかもしれないのです。
もっとも、中にはこうした「文化事業」の他に「不動産事業」?に
乗り出したお公家さんもありました。

まず自宅を「博打場」として貸し出し、次には公家の威光をもって
当局から守ってやる・・・そしてその謝礼金を頂くという方法で、
なにやら多少の胡散臭さを感じさせる「副業」ですが、しかし、
生活費を稼ぎ出すという観点からすれば、これはこれでグッド
アイデアの一つだったかもしれません。

ともあれ、こうした「カルチャーセンター」?が繁盛したということ
は江戸期が平和な時代だったことの証明でもあるわけです。
確かに「戦乱下のカルチャーセンター」って、イメージ的には
どことなく違和感がありますものね。

お公家さんは〜「上から目線」が好きで、「肉体労働」が嫌い〜
おおっ! それならワタシなぞはバッチリお公家さんの血を引いて
いるゾ、と確信したものです。

そこでこの”事実”をふと漏らしたところ、こんな言葉が・・・
〜いや、単に「尊大かつ怠け者」ということなのでは?〜
う〜ん、言えてるかもダ・・・こしゃくな奴め!




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