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zoom RSS 日本史の「逆転」13 武士団土壇場の女子パワー!

<<   作成日時 : 2014/11/20 00:01   >>

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日本史にもいくつか大きな「内乱」が登場しています。
古くは、天智天皇の子・大友皇子(弘文天皇)と皇弟?である
大海人皇子が戦った「壬申の乱」(672年)とか、足利将軍の
後継者問題に端を発し、10年以上も戦い続けた「応仁の乱」
(1467-1477年)などを挙げることができます。

また、豊臣秀吉死後の「天下人」決定戦?の様相を見せた
「関が原の戦い」(1600年)も、それこそ天下を二分した「大内乱」
でした。

これらに比べると、「承久の乱」(1221年)は、知名度?の面では
いささかマイナーな印象になりますが、その意義という点では
突出したものがあったように思えます。

では、その「突出した意義」とは何か?
平たく言えば、単なる「内輪もめ」ではなく、むしろその後の
「日本のカタチ」を決定づけた戦いだったことです。

よく見れば、「壬申の乱」は天皇家の、「応仁の乱」は将軍家の、
また「関が原の戦い」は武士間の、要するに同族間の「内輪もめ」
に過ぎません。 しかしダ、「承久の乱」はひとあじ違うゾ。

それは、朝廷VS武家の「権力争奪戦」の意味合いを備えた
死に物狂いの戦いだったことにあります。
つまり、、「負けた側には明るい未来はない・・・かもしれない」
という意識を朝廷・武士団の双方が持っていたわけです。

朝廷側には後鳥羽上皇(1180-1239年)が、武家側には鎌倉幕府
創立者である源頼朝(1147-1199年)の未亡人「尼将軍」こと北条
政子
(1157-1225年)がそれぞれトップに立ち、それこそガチンコの
「日本国争奪戦」の幕を切って落としました。


画像











 後鳥羽天皇宸翰御手印置文/隠岐で19年間過ごし60歳で崩御

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しかし一応は「朝廷離れ」した自前組織「幕府」を立ち上げていた
武家側としても、朝廷を完全に「敵」にしてしまうことには
いささか「腰が引ける」思いがあったのは間違いありません。

あからさまに「朝敵」になるくらいなら、多少妥協してでも「朝敵」
という汚名を避けた方が得策ではないか?
実際そう考えた武士団も少なくなかったようです。
ここで、北条政子の叱咤激励(演説?)が飛び出します。

その時の”録音”は残されていませんが、多分この程度のことは
言ったのでしょう。
〜こんなことくらいで右往左往するなんて・・・今日あるのは
  亡き「頼朝公」のお陰だってことを胸に手を当ててよう考えて
  みなさい・・・こんな時にイイ子ぶってたら、また幕府前の悲惨
  な奴隷生活に戻されちゃうのよ! いいこと、いつフンドシを
  締め直すの?・・・そりゃあ、やっぱ 今でしょッ!〜


この政子の演説で武士団の動揺は鎮まり、挙党体制?が
整ったとされています。
そして、武士側の勝利、朝廷側の敗北という結果をみましたが、
では首謀者・後鳥羽上皇ご自身はどうなったのか?

武家側によって隠岐島へ配流されました。
そればかりが、後鳥羽に協力した息子・順徳上皇も佐渡島へ
流され、協力はしなかったもののその兄・土御門上皇も武家側に
遠慮して自ら進んで土佐に渡りました。
つまり、武家側が完全勝利を収めたわけです。

身分下の武家側が、身分上の朝廷側を「島流し」にしたという
ことは、この国の「勢力地図」が完全に塗り替えられたという
ことに他なりません。

その証拠に、ここで確立された武家政権は以後明治維新までの
約650年(瞬間的な例外を除く)もの間、連綿と続きました。
反面、朝廷側はこの敗北により、以後長い長い「冬の時代」?を
迎えることになったわけです。

ですから、この「承久の乱」は、数ある内乱のひとつには違いない
のですが、壬申の乱/応仁の乱/関が原の戦いに比べると、
とてつもなく大きな意味を備えていたと言えそうな気がします。

ちなみに、この時の政子の”檄”が本邦初の「政治演説」?では
ないかと見る向きもあるようで、もしそうなら現代風にこう紹介
すべきかもしれません。 〜本邦初の“政治女子”北条政子〜
※歴女/山ガール/リケジョ/野球女子/鉄子/けんせつ小町など

また〜女性が政治に口を挟んで成功した史上”唯一”の事例〜
政子には、別にこうした評価もあります。
ただ、この「唯一」との表現には”不快感”を持たれる女性もある
そうですから、この場を借りて念入りにお断りしておきます。

「唯一」と言い切っちゃっている”真犯人”は歴史関係者であって、
断じてワタシではありません・・・ワタシは”無実”ですからね!
 




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