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zoom RSS 日本史の「お国自慢」10 ここが信長生誕地だでぇ

<<   作成日時 : 2014/07/10 00:01   >>

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「織田信長(1534-1582年)生誕」の候補地として、これまでは
二つの城の名が挙がっていました。
ひとつが那古野(なごや)(現名古屋城の前身/名古屋市中区)で、
もうひとつが、そこから西へ10Kmほどの地にあった
勝幡(しょばた)(愛知県愛西市と稲沢市の市境)です。

信長と、この二つの「城」の関わりはこうなります。
信長の父・信秀(1510?-1551年)は、もともとは「勝幡城」を居城と
していましたが、後に今川氏豊(義元の弟/1522?-没年不詳)から、
この「那古野城」を奪い取って自分の城としました。

ですから、「信長生誕地」を特定するには「信長誕生1534年」と
「那古野城奪取の時期」(1)を両睨みしながら、さらには(2)の
史料による裏付けも欲しいところです。

(1) 信秀が「那古野城」を手に入れたのはいつか?
   つまり、信長誕生の1534年より前か?それとも後か?
(2) その「信長生誕地」について、古文書による裏づけが
   あるのか?ないのか?

これまでは「那古野城」説がかなり優勢だったようで、現に
Wikipediaでも基本的には「那古野城」として、その後ろにカッコ
書きで「勝幡城」説もあることを紹介する形をとっています。

その「那古野城」説の根拠はこうでした。
(1) 「那古野城」奪取を、1932年(信長の誕生前)のことと捉えた。
   → つまり、織田家は信長誕生前に既に那古野城を入手していた。
(2) 「古文書」証拠としては、1800年前後に織田家が江戸幕府に
   提出した家系図に(信長は)名護屋城に生まる」との記述が
   あること。

ところが、そこまで話が進んでいながら、最近では「勝幡城」説の
方が俄然?有力になったとのことです。
一体なんで、そんなことに? それは、上の(1)(2)について
異なる見解が登場してきたからです。


 勝幡城があった場所に立つ石碑/愛知県稲沢市平和町

 画像 画像












       信長肖像画/イエスズ会画家ジョヴァンニ・ニッコロ

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「勝幡城」説の根拠はこうなります。
(1) 「那古野城」奪取を、1538年(信長の誕生後)のことと捉えた。
   → つまり、織田家は信長誕生後に、やっと那古野城を入手できた。
(2) 「古文書」証拠としては、近年になって蓬左文庫所蔵の
   「尾州出生侍覚書」とか、名古屋市所蔵の「尾州古城志」など
   複数の古文書の中に「信長は勝幡城で生まれたでぇ」との
   記述が見つかったこと。

こうした背景もあって形勢は逆転し、最近では「勝幡城」説が
俄然活気づいてきた、という流れのようです。
事実、1990年代半ば頃からこの「勝幡城」説を支持している
地元大学の偉い学者先生のお一人もこう述べています。
〜かつては那古野城説が八割以上を占めとったけど、最近は
  勝幡城説がほとんどになってきたでぇ〜


それなら、これは「新定説」?ということですから、チャッチャッと
切り替わってもよさそうなものですが、実は先のWikipediaも
有名な歴史事典なども、はたまた一般の間でも、「那古野城」説の
ままで、まだまだ「勝幡城」説は浸透していません。

ちなみに、かつて「塩畑」と呼ばれていたこの地を、武将にとって
縁起に良い「勝幡」(勝利の旗)に改めたのが、実は信長の父・
信秀だという言い伝えも残っているほどのものなのです。

はたと、これに気が付いた地元が早速?に腰を上げました。
〜そんなら、この「新定説」をもっと世間にPRせなイカンがや!
・・・これはぜってゃぁ地元に名誉と栄光をもたらすでぇ!〜


ところが、ここから先がモロにいまどきの発想で、「信長武将隊」
の創設や「信長モニュメント」建設計画というレベルに留まった
ままだそうです。 (中日新聞/2014年5月14日)
この調子だと、そのうちに「吉法師クン」なんていう信長の幼名を
頂いた「ゆるキャラ」の登場も心配しなくてはなりません。

二十年後には「信長生誕五百年」という歴史的節目?を迎えよう
としているのに、これではいささか心もとない印象です。
そこで、歴史ファン・信長ファンの皆様にお願いです。

〜「信長生誕地」の知名度アップに、なんぞ良いアイデアが
  あったら教えてやってちょぅ〜

な〜に、そんなに急ぐことはありません。
「信長生誕五百年」までは、〜まんだ 20年もあるでよぅ〜





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