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zoom RSS 日本史の「もしも」02 秀吉の四人?の息子たち

<<   作成日時 : 2014/06/15 00:03   >>

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天下人・豊臣秀吉(1537−1598年)の没後、豊臣家は秀吉唯一の
男子・秀頼を後継者に立て、徳川家の圧力に抗し続けたが、
「大阪の陣」(1615年)において結局滅亡に至った・・・史実は
こうなっています。
ではもしも、秀吉が複数の男子に恵まれていたとしたら、
豊臣家の天下はどうなっていたのでしょうか?

ということで、この先は「もしも」のお話になりますが、公平を
期して、ここでは正室・北政所(1547-1624年)側室・淀殿
(1569-1615年)が、秀吉の血を引く男子をそれぞれ「二人づつ」
産んでいたと仮定してみます。

北政所と淀殿の年齢差を加味して、北政所の最初の男子
(仮名/秀壱が1567年生、二人目(仮名/秀弐が1571年生とし、
一方淀殿の場合は、長男(早世した鶴松1589年生、仮名/秀鶴
次の秀頼(1593年生)の二人です。

つまり、この四人の息子達は、秀吉の死の(1598年)の時点で、
(何事もなければ)秀壱32歳、秀弐28歳/秀鶴10歳、秀頼6歳と
いう強力な後継者群を構成していたことになります。

この布陣が一致団結していたなら、徳川家康(1543-1616年)
ごときに、そうやすやすとつけ込まれることもなかったようにも
思えますが・・・問題は秀吉本人の遺言(意思)です。
「四択」?の候補者のうち、誰を後継者に指名したのか?

常識的にみるなら、正室・北政所の子、つまり嫡男「秀壱」
なるところでしょう。
血筋的にも年齢的にも不足がないからです。
しかし、秀吉は意外にも「別の選択」をしました。


画像











   大坂夏の陣図/三河武士のやかた 家康館

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では、誰を選んだのか?
それには、まず秀吉の心情を推し量る必要があります。

秀吉が淀殿を側室に迎えたのは、若い頃から憧れ続けた女性
・お市(主君・織田信長の妹)の娘であり、そしてまたその美貌を
色濃く受け継いでいたからです。

つまり、糟糠の妻・北政所よりも、「若くて美しい」側室・淀殿に
メロメロだったということですから、死の床にあった秀吉が
客観的で冷静な判断を下せたものかどうか?

重臣達を集め、豊臣家(淀殿・秀頼)に対する忠誠を誓わせるなどの
「茶番劇」を演じたこの時期の秀吉の姿は、実際「判断力の衰え」
を感じさせるものがあります。

そうした中で、秀吉が後継者として選んだのは他の三人に比べ
血筋的にも年齢的にも最も不適?な末子・「秀頼」
なんで、こうなるの? 理由は至極単純。
・・・その時点の最愛の女性・淀殿の子であり、かつ、その時点で
「一番幼くカワイイ存在」だった
からです。

秀吉の言い分は〜若過ぎるだとォ? そんなら、おみゃァ(君)
たち三人が補佐したりゃあ、なんも問題はあれせんがや!〜

こういうワンマンの独断専行って身内で揉めるんですよね。
心中面白くない北政所系の「秀壱」「秀弐」は、案の定、
非協力的な態度をとり、また淀殿系の「秀鶴」だって同様です。

つまり、豊臣家中枢の団結は「絵に描いた餅」に終わり、秀吉の
死から二年後の「関ヶ原の戦い」(1600年)では、「秀壱」「秀弐」も、
そして「秀鶴」も、籍?は「豊臣方」に置くものの、史実にある
小早川秀秋(秀吉の甥っ子で一時養子)の裏切り?と同様、
土壇場で「うっちゃり」をかまします。

そして、この秀秋が「関ヶ原」の二年後に急死したのと相前後し、
「秀壱」「秀弐」「秀鶴」の三人も不可解な死を迎え、つまり、
ここから先は史実と同じ道を辿って、結局「豊臣家滅亡」へと
突き進むわけです。

ですから、淀殿にメロメロになった時点で、秀吉自らが
「豊臣家滅亡」の原因を作っていたとも言えるのでしょう。
で、今回の「もしも」は、こんな歴史教訓を残すことになります。
〜色気と天下だとォ? ちぃとばか えらにゃァきゃァ!〜

訳:スケベ心と天下経営の両狙いとは少々虫が良すぎやしませんか!



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