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zoom RSS 日本史の「お国自慢」08 清正公はどこまで行った?

<<   作成日時 : 2014/02/20 00:02   >>

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地元・名古屋出身の戦国武将は大勢いますが、「トラ退治」で
有名な加藤清正公(1562-1661年)もその一人です。
豊臣秀吉(1537-1598年)と同じ愛知郡中村郷(現在の名古屋市中村区)
の生まれで、しかもその親戚筋に当たるとされている人物です。

両人の母同士が従姉妹だったという見方(異説もあり)もあって、
それだけに二人の結びつきは固く、清正は25歳上の秀吉に
対して生涯に渡り忠義を尽くし続けています。

秀吉亡き後も豊臣家(秀頼)に対する気配りを続け、自ら築城
した熊本城に「昭君之間」を設えたのも、そうした心情の表れ
と理解する向きも少なくないようです。

であれば、秀吉存命中の働きは推して知るべしでしょう。
中でも、秀吉の「朝鮮出兵」の折の清正公の行動は特に
際立ったものがあって、それに関連したお話のいくつかは
現在にも伝わっています。

もっとも、「朝鮮出兵」と呼ぶのは、結果的にそのレベルの
軍事行動に留まったということであり、秀吉自身のプランは
あくまでも「唐入り」(中国征服)にあったようですが。

その前段を「文禄の役」(1592-1593年)、後段を「慶長の役」
(1597-1598)と呼んでいますが、その行動の端緒を開いた
1592年、日本軍は釜山へ上陸するや一番隊(小西行長他)、
二番隊(加藤清正他)、三番隊(黒田長政他)を先鋒として、
三手から進軍し、実際上陸から三週間ほどで朝鮮の首都を
陥落させました。


 画像     画像














  文禄の役/進軍経路   熊本城/1874年 出展:wikipedia
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特に、この時に小西行長(1558-1600年)との間で展開された
熾烈な「先陣争い」はよく知られたお話ですが、清正公自身は
首都を経由して、さらに先へ先へと進軍を続けています。

なぜなら、全体のブランはあくまでも大風呂敷?を拡げた
「唐入り」(中国征服)にあって、「朝鮮上陸」はそのための
単なる足がかりに過ぎないからです。

〜では、実際、彼らはどこまでの進軍を果たしたのか?〜
上の地図が、二人の進軍経路を分かりやすく示しています。
青い線(清正の経路)が示すように、上陸後3〜4ケ月程度で、
朝鮮半島を縦断突破して、なんと「満州」にまで踏み込み、
さらに、ここでも交戦を繰り広げています。

つまり清正公は、本来の目的地である「明国」までは入れ
なかったものの、なんとか、”朝鮮国よりさらに遠方の外国 と
戦った”
という実績?だけは残したことになるわけです。

こうした一直線な行動は「忠義心の現われ」とか「出世欲の権化」
とか、評価の分かれるところでしょうが、同郷人としては前者を
採り、清正公の生真面目?ぶりを「お国自慢」のひとつとして
挙げておきたいと思います。
※誤解を招かないよう、念のためにお断りしておきますが、評価しているのは
 「外国へ攻め入った」ことではなく、「秀吉に対する忠義」の心です。


さて、この清正公にはユニーク?なエピソードも少なくありません。
○日本有数の築城名人であったこと。(代表作:熊本城)
○先にも挙げた、その熊本城の「昭君之間」の謎。
○よく語られる「虎退治」のお話。(史実か?伝説か?)
○「毒殺説」も噂されるその最期。(毒殺なら犯人は?)
○自分の口の中に拳骨を入れられるという風変わりな「特技」。


中でもこの「特技」は注目を浴び、地元・名古屋では今でも
〜口の中に拳を入れられること〜を参加要件にしたイベントが
続いています・・・てなことがあれば楽しい?のですが、
残念なことに、清正公を印象づけたいがための罪のない駄ボラ
なんですねぇ、これが・・・えろうすんまへん。





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