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zoom RSS 日本史の「発明発見」03 偏諱(へんき)を賜う

<<   作成日時 : 2014/02/05 00:10   >>

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「偏諱を賜う」(へんきをたまう) 辞書では、このように説明
されています。 〜将軍や大名が、功績のあった臣や、
元服する者に自分の名の一字を与える〜
 こと。

実際の例としては、後の上杉謙信が一時期名乗った長尾輝虎の
「輝」の字は、室町13代将軍・足利義輝から賜ったものであり、
また、後の徳川家康が元服の折、松平元康となった「元」も、
今川義元から貰ったこと、などが挙げられます。

この場合、〜主の名前の下の字を貰い、自分の名前の上に
付ける〜
のが普通のスタイルで、上の「義輝」→「輝虎」も、また
「義元」→「元康」の場合も、確かにそのパターンを踏んでいます。

では、この「偏諱を賜う」は、いったいどの程度に普及?していた
ものでしょうか?
その一例として、地元の三英傑(信長・秀吉・家康)のケースを
取り上げてみましょう。 (参考:Wikipedia)

織田信長(1534-1582年) 戦国の世で天下統一
→ルール?に沿って「信長」の下の字「長」を名前の上の字として
  与えた者が10人程、また上の字「信」を与えたのはそれ以上。

豊臣秀吉(1537-1598年) 信長の後の天下人
→これもまた、普通の「吉○」式が、大谷吉継など5人で、
  「秀○」式が10人以上。

徳川家康(1543-1616年) 江戸幕府・初代将軍
→長男・松平信康、次男・結城秀康を初めとして総勢40人ほど。
  その半数くらいが「康○」式、残りが「○康」、または「家○」式
  になっています。


画像









    織田信長       豊臣秀吉       徳川家康
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こうしてみると、身内や盟友筋に「賜う」場合は別として、
自分の「家臣」に対して「偏諱を賜う」ことは、それほど多くは
なかった印象になりますが、それもあながち間違いではなく、
たとえば信長の場合などは、丹羽長秀、金森長近の2名だけ
だったと言われています。

しかし、なんでまた主君は自分の「名」を与えたのでしょうか?
そこには、いたってシンプルで現実的な理由あって、要するに
「懐が痛まない」ことが大きな魅力だったようです。

仮に、家臣に対するご褒美として、領地や金を与えれば、
何らかの形での「出費」が必要になりますが、「字を与える」
(偏諱を賜う)のであれば、実質「出費ゼロ」ということで、
まことに経済的なわけです。

一方、頂戴する側からしても、他の者はなかなか手にできない
「レア物」をゲットできるのですから、これがちょいとした
「自慢の種」「格式(ステータス)」になり、自身をその他大勢とは
一味違う「特別な存在」としてアピールできることになります。

つまり、「与える側」と「貰う側」の双方に、大きなメリットがあった
からこそ、この慣習が続いたのでしょう。
とは言っても、数が多ければ「レア物」ではなくなり、その分だけ
「値打ち」が下落してしまいますから、そうそう乱発もできない
わけです。

それはともかくとして、「偏諱を賜う」とは、言葉を変えれば、
「無から有を生み出す」ことでもあるわけで、そういう意味では、
日本人らしい繊細な気配りが行き届いた、「グッド・アイデア」
「知恵」「発明」
のひとつと言えるのかもしれません。

まあしかし、良いことづくめでもなく、たとえば、福助サンから
「偏諱を賜う」ことになった一平サンが、新たに「助平」と名乗った
場合などは・・・う〜ん、さすがにこれはなかったかもしれんナ。





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