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zoom RSS 日本史の「女性」13 正室は知っていた!

<<   作成日時 : 2014/01/20 00:01   >>

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今回のタイトルにドキッとされた方もあるかも知れませんが、
ここでは“そのこと”に触れませんので、どうぞご安心ください。


ここでいう“正室”とは、豊臣秀吉の奥サマ・おね(北政所・高台院)の
ことであり、その彼女に触れるからには、もちろん“側室“である
淀殿にも登場を願うことになります。

さて、豊臣秀吉(1537-1598年)亡き後、天下取りの意欲を顕にした
のが、豊臣政権五大老の一人・徳川家康(1543-1616年)でした。

その言動に対し、秀吉“側室”淀殿(1569-1615年)は、〜天下の
ためにも、正当な後継者である秀吉遺児(つまり我が子)・秀頼
(1593-1615年)が引き続き政権を担当するのが「あッたりまえ」の
こと!〜
として、激しい不快感を示しました。

言葉を変えれば、淀殿は「豊臣家存続」に非常な熱意を抱いて
いたことになります。
では、この軋轢を、秀吉の「正室」であった北政所(1547-1624年
は、いったいどのように受け止めていたものでしょうか。

夫婦で築き上げた「豊臣家」なのですから、それこそ淀殿以上に
「お家存続」に熱心だったとしても不思議はないところです。

確かに、秀吉が没した直後は、淀殿と協力して秀頼をサポート
していたとされていますが、それも秀吉の「遺言」通りに、秀頼と
千姫(家康の孫)の婚儀を実現させるまでのことで、それ以降は、
意外に「不熱心」?だったようにも見えます。

特に、豊臣方VS徳川方の全面衝突・「関ヶ原の戦い」(1600年)
以降の彼女は、かつて豊臣家の中核を支えていた女性という
よりは、むしろ「徳川家ファンクラブ」の会員の一人と言えそうな
くらいです。

合戦後も、家康が北政所の領地を安堵していたことなどが、その
状況証拠になりそうですが、では北政所はなぜ「お家存続」に
熱意を持てなかったのでしょうか?

おそらく、「北政所は知っていた」からでは?
いったい何を?・・・おそらくそれは、こういうことでしょう。


画像

















  <豊臣秀頼> 当時から「大野治長」が父親?という噂はあった。
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〜「秀頼・淀殿のお家存続」 「豊臣家存続」〜 すなわち、
〜淀殿が生んだ子・秀頼は、秀吉の子ではない〜

北政所の立場からこれを見るなら、亡夫・秀吉と血の繋がりの
ない秀頼が、仮に「お家存続」を果たしたところで、それは
「豊臣家存続」を意味するものではない、という理屈になる
からです。

ではなぜ、「秀頼秀吉の子」という事実を知り得たのか?
それはおそらく、北政所に限らず秀頼の周囲の人たちにとっては
なかば「公然の秘密」だったからなのでしょう。

だって、そうでしょ。
とにかく、夫・秀吉は若い頃から数えて総勢347人?の女性と
関係を結んだ (羨ましがっている場合ではないゾ!) とされているのに、
それまでただの一人として子供には恵まれていないのです。

ああそれなのに、53歳の折になって、“淀殿”だけがひょっこり
懐妊を体験し、その子が早世するや、今度は57歳の折に、
またまた、その“淀殿”が懐妊し秀頼を生んでいるのですから、
北政所に限らず、誰だって「秀頼秀吉の子」という疑いを
持つのは当然です。

ましてや、聡明な女性だったそうですから、それを〜てんで、
気がつかなかった〜
とする方が無理なお話というものです。

「事実」をバッチリ知っていればこそ、「秀吉の豊臣家」存続は
彼女にとって、もはや幻に過ぎず、「関ヶ原」後は亡夫・秀吉の
供養に専心したのでしょう。

後に、彼女を訪ねた家康の息子・秀忠(二代将軍)は、その姿に
心を打たれ、ポツリとこう漏らしたとか。
〜ボクも彼女のような嫁さんが欲しかった〜

いかにも、正室・お江さん(1573-1626年)にビビリまくった
「日本一の恐妻家」?秀忠の吐きそうな言葉ですが、
お気づきのように、もちろん、これは面白半分のヨタ話ですヨ。





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