ヤジ馬の日本史

アクセスカウンタ

zoom RSS 日本史の「陰謀」09 鎌倉”最後の将軍”って?

<<   作成日時 : 2014/01/10 00:01   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 0

「明治維新」と重なる時期の、江戸幕府“最後の将軍”といえば、
十五代・徳川慶喜その人です。
また、「戦国時代」と重なる時期の、室町幕府“最後の将軍”とは、
これもまた十五代の足利義昭です。

ここまでは、割合知られているようですが、では、もうひとつ前の
鎌倉幕府“最後の将軍”とは、一体誰?
こういう質問になると、大体が「う〜ん、誰だっけ?」ということに
なるのではないでしょうか?

どこかに〜三代で滅んだ〜というイメージもあってか、中には、
三代・源実朝が“最後の将軍”だったと理解している方も少なく
ないようですが、しかし〜三代で滅んだ〜のは、初代・源頼朝の
血筋のことであり、鎌倉幕府そのものではありません。

つまり、鎌倉幕府が続いていたからには、その後も“将軍”は
存在していたわけです。
では、“第何代のどなた”が“鎌倉幕府・最後の将軍”だったの
でしょうか?

調べれば、すぐに分かる底の割れたクイズですが、答えは、
“第九代・守邦親王”(在職:1308-1333年)という方だそうです。

つまり、三代・源実朝以降は皇族・公家から、今風にいうなら、
“人材派遣” (基本的に幼少者)をしてもらい、なるべく超長期の
任期?をもって、”お飾り将軍”に座って頂いていたことに
なります。

朝廷勢力に逆らって立てた「武家政権」のトップに、皇族・公家の
人物を据えるのも、ヘンと言えばヘンなお話なのですが、
ともかく、1219年(実朝の死)から、鎌倉幕府滅亡の1333年に至る
100年以上に渡って、このスタイルを続けました。

“お飾り将軍”ということは、バックに真の実力者がいたことになり
ますが、ではなぜ、その勢力自らが“将軍職”に就かなかったの
でしょうか?
決して、「遠慮深かった」という理由ばかりではないようです。


画像

















 鎌倉 鶴岡八幡宮/鎌倉初代将軍・源頼朝ゆかりの神社
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ ←お立ち寄り”記念クリック”も!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

朝廷側に、こうした“お飾り将軍”を出させるだけの力を持っていた
実力者といえば、間違いなく、“北条家”でしょう。
鎌倉幕府”初代将軍・源頼朝”の妻・北条政子の実家です。

その“北条家”自らが、“実力将軍”の座に就かなかった理由に
ついては、一応このように説明されています。 参考:Wikipedia
〜元はといえば、伊豆の一介の小豪族に過ぎない出自の
低さのため、仮に将軍職に就いても、有力御家人たちの
心服を得ることは難しかったため・・・〜


しかし、この説明はいささか「控え目」に過ぎる印象で、もっと
踏み込むなら、北条家は、いわゆる「明日は我が身」という
思いを持っていた・・・ということなのでは?

つまり、こういうことです。
北条家は、自ら担いで、初代・頼朝、二代・頼家、三代・実朝と
源氏トップの人材を将軍に就けましたが、実は、頼朝は
落馬?事故、頼家・実朝の両人は暗殺、というように、三人が
三人とも「不可解な死」を迎えています。

この三人の「不可解な死」に、政子の実家・北条家が少なからず
関わっていたことは、まず間違いのないところで、ならば、
いくつかのライバルは滅ぼしたとはいえ、まだまだ「有力御家人」
たちが残っている状況下で、無理を押して自らの一族の人間を
将軍職に就かせることは、今度は自分達がそのターゲットに
なりかねない・・・そんな心配もあるわけです。

そこで、「名より実を取る」、つまり栄光の“将軍職”より、政界の
”黒幕”、”フィクサー”の立場を選択したのでは?
なにせ、なにごとも「命あっての物種」ですからネ。

で、北条家がこうした「小ずるい」?政策を用いたことで、本来の
“栄光の将軍”は、単なる“派遣将軍”“お雇い将軍”という
立場に格下げされたことで、鎌倉幕府“最後の将軍”までもが、
「無名?の存在」にされてしまったわけです。 

その意味では、まことに「運のない」将軍でしたが、な〜に、
気がつかないだけのことで、「不運」なんてものは、実は誰の
足元にも転がっているものなんです。

早い話が、たった今、こんな駄文に貴重な時間を奪われている
アナタ!・・・アナタは気が付いていないのかも知れませんが、
これこそ、「トッテモな不運」そのものなんですヨ!






   にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ にほんブログ村 にほんブログ村 トラコミュ 日本史同好会へ 
     ↑折にふれ 1日1回の応援クリックを!↑

          



−−−これまでの 「陰謀」 シリーズ−−−−−−−−−−−−−−−−−
140 日本史の「陰謀」08 超裏ワザ・超極秘作戦 三人だけの胸の内へ?
133 日本史の「陰謀」07 なぜ征夷大(たい)将軍? “本物”はどこに?
105 日本史の「陰謀」06 身分を買う人々 “身分”は売買できたのか?
096 日本史の「陰謀」05 塀の上を歩いた茶人 政治顧問か政商か?
086 日本史の「陰謀」04 偽装史?の先駆者たち “人を騙す”って・・・快感!
056 日本史の「陰謀」03 天下人の就職難 権力あれども身分がにゃ〜ァ!
052 日本史の「陰謀」02 混乱の即位固辞 三人は何を考えて辞退したのか?
046 日本史の「陰謀」01 聖徳太子の狂言 国書盗難にヤラセの疑い?
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ヤジ馬の日本史〜超駄級・100記事一覧編〜 神話から戦後まで一挙公開!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
日本史の「陰謀」16 事件は”長袴”から始まった!
裾の丈がメッチャ長くて、足も出せないまま後ろに引きずる 袴姿は、 たとえば、「忠臣蔵」ドラマの江戸城内「松の廊下」 シーンにも登場します。 これには、見た目通りの「長袴」という名が付いていますが、  ともかく足の出ない不思議なデザインですから、現代人が いささかの疑問を抱いたとしても不思議ではありません。 〜それにしても無駄に長くて、動作にも不便極まりない、   こんな衣装のいったいどこにメリットがあったのだろう?〜 ...続きを見る
ヤジ馬の日本史
2016/02/28 08:14

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
日本史の「陰謀」09 鎌倉”最後の将軍”って? ヤジ馬の日本史/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる