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zoom RSS 日本史の「逆転」07 地名は”上”だが地図では”南”?

<<   作成日時 : 2013/12/05 00:01   >>

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現代人が地図を見る場合、多くは「北を上」にします。
慣れもあるのでしょうが、この方法が一番見やすく、また理解
しやすいからです。
〜いや、ワシは「南々西を上」にするのが一番見やすい!〜
こう主張される方は(データはありませんが)おそらく少数派でしょう。

で、日本地図から(もちろん「北を上」にして)昔の国名を追ってみると、
関東地方あたりで「妙な地域」があることに気がつきます。
上総国(かずさのくに)下総国(しもうさのくに)は、字面からすれば、
当然、「上総」が上(つまり北)に位置し、「下総」が下(つまり南)
位置するはずですが、地図上の事実はこれが「逆転」している
のです。

つまり、「上総」「下」で、「下総」「上」になっています。
さては先人達は「方向オンチ」だったのか?
こんな優越感に浸るのは、ひとえに「現代人の驕り」であり、
結論から言えば、「上総・下総」は、これで矛盾のない「国名」を
構成しているそうです。

下の地図を眺めながら整理すると、こうなります。
「上総国」 現在の千葉県南部あたり(房総半島の南端を除く)
「下総国」 現在の千葉県北部・茨城県南西部・
       埼玉県東部・東京都東部あたり
※ちなみに、房総半島の南先端部は、この「上総国」とは一線を画し、
  「安房国」(あわのくに)として独立したエリアになっています、


でもまた、なんでこれで上下の矛盾がないのか?
ひょっとして、現代人とは逆に、昔の人は「南を上」にして地図を
理解していたのか?
・・・どうもそんな一直線の考え方ではなかったようで、この場合の
「上」とか「下」は、「方角」(東西南北)とは無関係だったのです。

「方角」とは異なるモノサシとは?・・・つまり、「都(京)からの
距離感」がそれで、近い方を「上」、遠い方を「下」としていたと
いうことです。

〜うんにゃ、そんなことはないゾ! 地図をよく見てみれ!
  「上総」に入るには、どうしたって「下総」を通過することになる。
  だったら、都から近いのは「下総」であり、ならば「下総」こそ、
  本物の「上総国」ということになるはずだ!〜


このような異論が出てきたとしても不思議はありません。
(なぜなら、これはワタシが出した異論だからです)



画像











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ところが、これにも実は「現代人の思い込み」が働いている
そうで、つまり、「陸上ルート」だけに目を奪われ、「海上ルート」を
すっかり忘れているという指摘です。

昔は、ここら辺りへ来るには、この「海上ルート」を利用するのが
一番便利だったようで、その場合だと、「上総」の方が「下総」より
都に近い地域ということになり、これだと確かにそれぞれの
国名にも矛盾がないことになります、

ですから、「海上ルート」の発着港は、先の「命名ルール」?から
しても、「安房国」ではなくて、この「上総国」にあったことになり
そうです。
※ちなみに、ワタシの場合は、その両国を示す「(安)房」と「(上)総」で
  「房総半島」の名称が形成されていることに、たった今気がつきました。


お話は逸れますが、それほど広い地域でもなく、またこの場所に
ありながら、「安房国」には「総」の字も付かずに、独立?した
エリアと認識されていたのは、〜自然の山並みが「上総国」
「安房国」を分断していたから〜
という説明もありました。

それはともかく、たとえばワタシの地元・尾張国を「尾州」と呼ぶ
ように、国の名を「○州」と表現する呼び方がありますが、
その場合は、「上総国」「下総国」も共に「総州」(そうしゅう)
呼んだそうです。
ということは、元々は大きな「総国」という大きな国だったものを、
いつかの時期に、上下(近遠)に「分割」したのかもしれません。

またまた蛇足ですが、「地図」という言葉から、今ひょっこり思い
出しましたことがありますので、皆様にもご紹介しておきましょう。
作者も題名もすっかり忘れてしまいましたが、
こんな「推理小説」?「ミステリー小説」?がありました。

容疑者の鉄璧なアリバイを崩すために、「地図」と首っ引きに
なった捜査官ですが、なかなかその糸口が掴めません。
それもそのはず、夢中になるあまり、「四国」「オーストラリア」
地図を取り違えていたのですから・・・




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