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zoom RSS 日本史の「言葉」13 金も無けれど死にたくも無し

<<   作成日時 : 2013/10/15 00:01   >>

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親も無し 妻無し子無し版木無し 金も無けれど 死にたくも無し
こんな六つの「無」を嘆いて、自ら六無斎(ろくむさい)と
号したのは「林子平」ですが、この言葉の軽妙さとその名前から
落語家・林家三平の弟子を連想してはいけません。

林子平(1738-1793年)は「寛政の三奇人」の一人に挙げられて
いるほどの人物なのです。
「ほ〜ら、奇人だってよ、やっぱり“ケッタイな人”なんだ!」
思うのも実は間違いで、この場合の「奇人」は「奇才」と同様、
取りも直さず「優れた人物」という意味で使われています。

一言多いかもしれませんが、もし周りの人からアナタ自身が
「奇人」と評されたなら、その場合は文字通りに受け取っても
構いません。

話を戻しますが、この子平は今でいう「トップクラスの有識者」と
いうところでしょうが、ではなぜ〜部屋住みの身で妻子も持た
ない仙台藩士〜
が「優秀な人物」との評価を得たのでしょうか?

子平は著書「海国兵談」の中で(これも名文句ですが)、
〜江戸の日本橋より唐、阿蘭陀まで境なしの水路なり〜
つまり、「日本から中国・オランダ(世界中)まで海はひと続きに
なっておるゾ」
 こう言っているからです。

「だから、外国に対する国防策を早々に講じるべきだ」と主張し、
さらにはダメ押しの形で、「その点、幕府の外国に対する
危機管理・防衛構想はてんで甘すぎる」・・・こんなイチャモンを
つけたことになります。

「海があるから危険」とするこの子平の指摘は、永きに渡り
「海があるから安全」を常識?としてきた幕府にとっては甚だ
奇想天外なもの(屁理屈?)でもあり、また、正面切っての
ご政道批判に当たるということもあって、到底許せるものでは
ありませんでした。
そこで、冒頭の言葉版木無しの部分の意味が伝わってきます。


画像  画像
















      林子平              海国兵談
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当然のことですが、子平はこの「海国兵談」を世間に問うべく
出版を計画していました。
しかし、「幕府批判」になることを恐れて協力する出版人もない
ことから、やむなく自ら版木を彫るなどして自費出版(1791年)の
強行を企てます。 子平54歳の時のことです。

対する幕府も、この危険思想?を取り締まるべく発禁本とした
上で、印刷に必要な版木のすべてを没収し、さらには
蟄居命令を出し、子平の活動を完全に封じ込めました。

幕府VS子平の戦いはここに決着を見るのですが、このことで
相当にガックリきたものか、六無斎と号した子平はこの二年後
(1973年)に亡くなってしまいます。

もっとも、「海国兵談」の内容そのものには、やや夢想的な面も
あったことから、現代人の中には、それを理由に「トンデモ」だと
評する向きもありますが、やはり当時における危機管理感覚の
鋭さには正当な評価をすべきでしょう。

さて、その「海国兵談」から六十余年後の1853年、現実の
「黒船来航」に直面した幕府は大いに慌てました。
子平の指摘以降も、「海防」にはなんらの注意を払うことなく、
なんらの準備もせず、そしてまた、その場面を想定する心構え
すらできていなかったからです。

「黒船」を目の当たりにした幕府は、案の定パニックに陥った
ばかりか、とんでもない“不平等条約”を結ぶという大失態を
披露することになります。

それを解消にするまでに、明治期の日本が費やした労力は
半端でなく、もしあの時、幕府が子平の意見に「耳を傾け」て
いたなら、幕末・明治の日本国は大いに違った状況を体験
したに違いありません。

〜太平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)、たった四杯(四隻)で
夜も眠れず〜

ですから、当時詠われたこの狂歌はその時の幕府の茫然自失・
狼狽ぶりを、実に的確に表現していることになるわけです。

話は変わりますが、地元のプロ野球チーム・中日ドラゴンズは、
今年はボコボコにやられ、本当に稀にしか勝てませんでした。
そんな数少ない中日勝利の日のドラ・ファンの生態を
活写したのが下の狂歌です。 (もちろん作者はワ・タ・シ)
〜太平の眠りを覚ます上機嫌、勝った試合で夜も眠れず〜





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日本史の「言葉」18 ”不徳の致すところ”物語
孔子さんの「儒教」には、徳治主義ともいうべき独特の政治理念・ 思想が持ち込まれています。 簡単に言うなら、統治者が「有徳者」である世の中は上手く運ぶ けれど「不徳」の統治者の場合はそうはならないという考え方で、 この理念?の迫力は施策の可否だけでなく、疫病・飢饉・天変 地異などの自然現象までをも施政者の「徳の有無」に求めた ことです。  つまり、〜上に立つアイツが不徳だから、こんな災いを招いて しまったのだ〜という因果で語られるわけです。 ...続きを見る
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2015/06/25 00:03

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