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zoom RSS 日本史の「逆転」05 切れない名君と斬る暗君

<<   作成日時 : 2013/08/25 00:05   >>

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1701年、殿中において浅野内匠頭長矩(1667-1701年)が
高家・吉良上野介義央(1641-1703年)に突然斬りかかった
される「元禄赤穂事件」は、映画や芝居を通じて現代人にもよく
知られています。
ですが、この「赤穂事件」が「ビックリ仰天」「前代未聞」の
出来事だったかといえば、それはちょいとばかり違うようです。

というのは、その十数年前にもすでに若年寄・稲葉正休(1640-
1684年)が将軍の居間(御座の間)において、大老・堀田正俊
(1634-1684年)に突然斬りかかり殺害した事件(1684年)が
起きているからです。

この事件は「赤穂事件」ほど頻繁に取り上げられないので、
ワタシ同様に知らなかった人も少なくないようです。

しかし、将軍様のお住まいである「江戸城内」という大変に特殊な
場所に限っても、この時期少なくとも二件の「刃傷沙汰」が発生
していたということになりますから、これは尋常ではありません。

ですから、ひょとしたら「江戸城以外」の場所でもいくつか同種の
事件が発生していたのでは?という想像も膨らんできます。
事の詳細はよく知りませんが、現に〜碁盤を囲んでいた同輩に
突然斬りかかった
という事件も起こっているようです。

さて、こういう状況を知ると当然のことながら、
「なんでまたこんなことが頻発するの?・・・その原因は?」
という疑問が湧いてくるもので・・・それについては〜「時代背景」
が大きく影響していたのでは?〜
との説明を見つけましたので、
この機会にちょいとご紹介しておきましょう。


画像













     刃傷・松の廊下
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つまり、こういうことです。
これより少し前の「戦国の世」の殿様は、御家を守るためには
外交にも戦さにも、そしてまた自らの家来にもあらゆる方向に
目を配り、常に緊張感を保ち続ける必要がありました。

ところが、世情も穏やかになり幕府も各藩も安定期に入った
この時期になると、殿様が負うべき本来の「役割」がコロッと
変わってしまったこと
が原因という見方です。

すなわち、御家の経営者?「殿様」は戦さの心配もないから、
軍務の研鑽に励む必要もない、政務は優秀な部下に任せて
おけばそれでOK、それに家来たちもサラリーマン化して穏やか
・・・こんな状況が整ってしまったわけです。
だったら、「殿様」はいったい何をしたらいいの?

ぶっちゃけ御家を潰さないこと、つまりは後継者を絶やさない
ための「子(世継ぎ)づくり」が「殿様の最も大事なお仕事」に
なってしまったということですから、これは一種の「逆転」と呼ぶ
こともできましょう。

では、その「子づくり」労働?は男子一人を設けた時点で、
「即お役御免」にしてもらえたかといえば、世の中決してそんな
甘いものではありゃせんゾ。

なぜなら、この時代、乳児・幼児の死亡率も決して低くなく、当然
ある程度の「スペア」?を用意しておく必要があったからです。

つまり、念を入れた「子(世継ぎ)づくり」労働?は、正室・側室に
限らず、その周辺女性達をも巻き込む形で延々と続くことになる
わけです。 ※これを羨ましいと思うなら、アナタの心はいささか不純?

こうした緊張感の乏しいそれこそ「自分が世界の中心」という
特殊?な環境にあって、人並み程度に「我慢」や「忍耐」など
心の修練を積むことはそりゃあ容易なことではありません。

で、「我慢」や「忍耐」の心が十分に育たないということは、
言葉を変えれば「切れやすい性格・体質」になりやすい・・・
こういうことになるわけです。

つまり、この種の修練を十分積むことなく育った「お坊っちゃま」が
稲葉正休(25歳)であり、浅野内匠頭(35歳)であり、少なくとも
普通の人間よりは「切れやすい」性格の持ち主だった、と指摘
していることになります。

そういわれれば、稲葉正休の場合、単純な刃傷沙汰ではない
との見方もあるものの、少なくとも表向きは「本人の発狂」を
原因として処理されています。

また、一方の浅野内匠頭の場合も、その心的破綻(発狂?)が
疑われた事実がありますから、この「切れやすい性格」という
指摘は一概に否定できないような気もします。

現代なら、多少尋常でない行動をとったところで、単に
「切れちゃった」と善意?に見てもらえるのですが、昔のことです
から、そこは仰々しく「発狂」と表現されることになります。

ということは、殿様クラスでは、この「発狂」(切れること?)その
ものが、取り立てて不自然でも際立って珍しいことでもなく、
(さすがに「よくあること」とまでは言えないにせよ)
「ままあること」という感覚の範囲にあったことを示しています。

かくして、歴史の一時期にはこんな「流行」があった?
〜近頃の殿様は切れたらすぐ斬る!〜
または、こんな「キャッチコピー」の商品が出回ったかも?
〜新発売!よく切れる「殿様印」のハサミ〜





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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
大名クラスの刃傷事件は、江戸城以外では増上寺で内藤忠勝が永井尚長を殺していますし、寛永寺で前田利昌が織田秀親を殺していますね。
どの事件も加害者が被害者にいじめられた仕返しという風評が立ってそのまま通用してしまっているところに、江戸の人々の詮索好きがうかがえますな。
ゆきずりさん
2017/04/11 12:48
>ゆきずりさんへ
コメントをありがとうございます。
「刃傷沙汰」って、江戸城以外でも少なからず
勃発していたのですね。
その動機が「イジメの仕返し」ということに
なるのは、おそらくこれが一番「分かりやすい」
からでしょうね。
そういえば、「本能寺の変」にも同様な解釈が
あることを思い出しました。
ご教示ありがとうございました。
今後とも弊ブログのご贔屓をよろしくお願い
いたします。
住兵衛
URL
2017/04/12 09:30

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