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zoom RSS 日本史の「忘れ物」14 アメリカ船はいつ来たか?

<<   作成日時 : 2013/07/20 00:01   >>

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1783年、大西洋側の13州で当座の独立を果たした「アメリカ」は
その後に太平洋側の地域を併合(1846年)し、初めてその国土が
太平洋に面することになりました。

この時のアメリカ政府は、既にヨーロッパ列強がひしめきあって
いる「大西洋」を活動拠点とすることは、新米独立国にとって
得策にならないと判断し、この「太平洋」に目を向けました。

その背景には、当時の「捕鯨大国」アメリカがこの太平洋を
「魚場」としていた事情も挙げられましょう。
つまり、食糧・水などを容易に調達できる「補給基地」をこの
太平洋地域に設けたいと考えていたわけです。

そういう一連の動きの最中にあった1837年、太平洋を挟んで
まさに「隣国」となった日本をアメリカの商船「モリソン号」が
訪れています。
もちろん、その目的は「補給基地」計画について、日本側の
協力を得ることでした。

これは「黒船来航」(1853年)事件?より、十年以上も以前の
出来事ですが、「知名度」?は割合に低く必ずしも現代日本人の
常識になっているとは言えません。

もちろん、ご多分に漏れずワタシも「とんと知りません」でした。
つまらんことを自慢している場合ではありませんが、
この「モリソン号」の経緯はザッとこんな感じになります。


画像
















   アメリカ商船・モリソン号
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この時のアメリカは「補給基地」の許可をお願いする立場
ですから、「モリソン号」もひたすら低姿勢を心がけ、しかも日本
政府が「泣いて喜び」そうなプレゼントまで用意していました。

これは、ひとえに日本政府(徳川幕府)へのゴマスリ?いや、
「お願いする側の誠意」を示したものでしょう。

ひとつには、船の「大砲」をわざわざ外して「非武装」、つまり
「丸腰」の姿で来ています。
ふたつには、「目玉プレゼント」として故郷に帰すべく日本人
漂流民(7人)まで同行していました。

では、この時の日本政府(徳川幕府)は、「モリソン号」の目論み
通りに「泣いて喜んでくれた」のでしょうか?
いいえ、決してそのような事にはなりませんでした。
当の「モリソン号」に向け大砲をぶっ放し追い返しています。

結局、丸腰だった「モリソン号」は逃げ帰る形になりましたが、
しかし、なにしろアメリカには「経済(捕鯨)」が絡んでいるのです
から、こんな程度で簡単に諦めたりはしません。

この後も、アメリカは低姿勢で粘り強く交渉(お願い)を続ける
ものの、しかし幕府の方も相変わらず「逃げ腰」のままで、正面
から向き合うことを避け続けました。

頑固一徹? 聞く耳を持たぬ? 傍若無人? 引きこもり?
その姿勢をどう言い表すのが適当なのかは分かりませんが、
とにかく、目の前の事態を直視しないこの「頑迷な態度」には、
国内からも政府批判の声が上がったほどです。

で、そうこうする内にとうとう蒸気船「黒船」の来航(1853年)を
迎えてしまいます。
従来の低姿勢では「埒が明かない」と見たアメリカはここで一転、
ペリー提督の尻をまくった「恫喝外交」?を発揮したわけです。

そのド迫力にスッカリ「腰を抜かし」た幕府が、やっとのことで
「同意」の方向へカジを切ったのはご存知の通りです。

○先例のない問題については、政府は「即座」な対応よりも、
  迷わず「先延ばし」を選択する。
○外交において、相手国が「強硬」な姿勢を示した場合は
  日本側は迷わず?「腰砕け」になる。

こうして見ると、その折の幕府外交の遺伝子?を現代の日本
政府も大切に引き継いでいることは間違いないようです。
ですから、この「モリソン号事件」を日本人の「忘れ物」にしては
いけない、との切実な思いからこの記事を書いた次第ですッ!

「ウソこけッ!ついさっきまで何も知らなかったクセに!」
ですって?
・・・う〜ん、それは確かに的を得た鋭いご指摘ですネ。





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