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zoom RSS 日本史の「逆転」04 武士の正座と胡坐

<<   作成日時 : 2013/07/05 00:01   >>

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いまさらの感がありますが、TV時代劇を観ていて、戦国時代と
江戸時代の武士の座り方に違いがあることに気がつきました。
もっともソファーに腰を下ろすシーンはあまり見かけませんので、
つまりは正座(せいざ)胡坐(あぐら)のことを言っています。

「正座」というからには、これが日本人のその昔からの作法で
あり、「由緒正しい」座り方かと思っていたら、どうもそうでも
ないようで、「正座」という言葉自体も明治以降に登場した?と
されています。

また、「胡坐」〜両膝を左右に開き、体の前で両足首を組んで
座る座り方〜
と定義されていますが、「武士風?胡坐」の場合は
実際には〜足の裏を合わせて股関節を広げ、ひざを床に
落とした座り方〜
とのことですから、単なる「胡坐」に比べたら、
かなり厄介な代物になります。

二つの座法はそれぞれに欠点を抱えていますが、「正座」
場合は、なんといっても足の神経が麻痺する「痺れ」に襲われる
ことで、足を解いてもすぐさま立てなかったり、立ったものの、
ついよろけたりした経験を持つ人も少なくないでしょう。

これが「メタボ人の正座」なると、足が支えるべき体重がド〜ンと
増えますから、もうほとんど「拷問」と言っていいほどの「痺れ」に
なることは・・・このワタシにはよく理解できています。

そういえば、焼香する人が正座から立ち上がったものの激しい
痺れでよろけ、転倒すまいと思わず目の前にいた読教中の
お坊様に手をつき・・・ところが、手をついた場所がお坊様の
ツルツル頭だったために、その手が滑って結局転倒する、
というコントを観たことがあります。


画像



















 織田信長 (おおッ、足の裏同士が密着しているゾ!)
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話が逸れたので元に戻しますが、それなら「武士風?胡坐」
方が楽かといえば、実は世の中そんな甘いものではなく、
〜股関節が柔らかくないとできない上に、骨盤と背筋の
バランスを取らなければならない〜
そうですから、体の堅い
現代人にはてんで不向きな座り方だと言っているのも同然です。

試しにワタシもチャレンジしてみましたが、それはもう痛い
ばかりで、決して楽しいものではなかったゾ。

ここまできて、やっと本題に。
では、〜武士が「武士風?胡坐」から「正座」に転向?
つまり逆転したのはなぜ?〜
 最初に思いつくのは、
やはり戦乱から平和へと「時代」が転換したことでしょう。

確かに戦乱の時代に「正座」をしていては、上のコントのように
「痺れ」で咄嗟の身動きがとれないでしょうから、ここはやっぱり
「武士風?胡坐」が最適です。

しかし、これが平和な時代になれば、そんな機敏な動作を
必要とする場面も必然的に減るでしょうから、必ずしも
「武士風?胡坐」にこだわらなくてもいいわけです。

事実、「正座」をするようになったのは、三代将軍家光の頃から
とされていますから、これは単に姿勢的な意味合いばかりでなく、
殿様に対して恭順の意を示す、つまりは言葉通りに「膝を屈する」
ことをビジュアル化したものなのかもしれません。

さらには座る場所の「床材」?の問題も指摘できそうです。
堅い板張りの時代には困難だったものが、畳式の床になって
「正座」が可能になった、という見方です。

まあ、「正座」にせよ「武士風?胡坐」にせよ、椅子のある生活を
採用したことで、そのどちらからも解放された現代日本人は、
それだけでも、ある意味、幸せというものでしょう。

そんな感慨にふけっていたとこる、さらに古い時代、〜平安や
鎌倉時代には宮廷仕えの女官たちも「胡坐」をかいていた〜

とか、また、もう少し最近でも、〜桃山時代から江戸初期の女性は
「立て膝座り」を習慣にしていた〜
との説明にぶつかりました。

それなら、女性たちは、またどうしてその「座り方」を変更?
つまり逆転?させたのでしょうか?

どう考えても、「正座」よりは「胡坐」「立て膝座り」の方が
楽だと思えるのですが、その楽な方を放棄して敢えて難儀な
「正座」の方を採用していることがなんとも不思議です。

これはどうやら室町時代頃から女性の服装に変化が現れた
ことが原因で、その新しい服装で「胡坐」をかくと、なんでも
秘部があらわになる危険が生じたために「正座」が広まった
とのことです。

ふ〜ん、そうだったのか。
とは言いながら、それでもまだその「秘部」ってのが、
今ひとつ充分に理解できていないので、どなたかご存知の方が
おられましたら、どうぞお教えくださいナ。




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内 容 ニックネーム/日時
胡座から端座になったのは徳川さんが「服従の意を示し囚人の座り方をせよ」っておふれを出したから
服が変わったからとか無い
考えてみ?
「服が変わったから胡座かけない!囚人の座り方しよう・・・」
「やめなさい!みっともない!」
って成るに決まってんだろ
正座が変わったから服も変わっていったんだよ
当然だろ
あと胡座が実戦的ってのはない
当時の抜刀術も残っているが胡座ではなく蹲踞に似た形で行う
場合によっちゃこの蹲踞が一番礼儀正しいモノだった
クロス
2016/06/27 11:23
Re:「クロス」さんへ
貴重なご指摘をいただき大変勉強に
なりました。
ありがとうございました。
今後ともどうぞよろしくお願いたします。
住兵衛
URL
2016/06/27 17:57

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