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zoom RSS 日本史の「忘れ物」11 時代の透明人間

<<   作成日時 : 2013/01/15 08:30   >>

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庶民の暮らしぶり・・・歴史の中でも案外よく分かっていないのが、
ここのところだという話を耳にしたことがあります。
なるほど、そりゃあそうかも・・・みんながみんな朝日文左衛門
真似をするわけにはいきませんものネ。

何を食べていたのか、どんな家財道具があったのかなど
日常生活については、分からないことの方が多いくらい
だそうで、そんなことなら「庶民」の側もエッサエッサと記録を
残しておけばよかったのにと思ってしまいますが、よく考えると
これはさすがに無理というものでしょう。


画像 出展:sutudio Robin
 後世からみて「(文字)史料」と呼べるような、
 「日記」や「記録」を残せる人はそうそう
 いなかったハズで、おそらくは朝廷・公家か
 寺社関係者か一部のインテリ武家くらいで、
 国民の多数派である「庶民」階級は、少数を
 除いてそのほとんどはそこに加わることが
 できなかったと思われます。

では、なんで加われなかったの?
多分こういう理由ではないでしょうか。
仮に「日記」をつけようとすれば、まず第一にその前提として
それを実行できる環境が整っていることが不可欠でしょう。

まず、第一に「文字を書ける」だけの技量を持っていること。
これができないことには「絵日記」はともかくとして普通の
「文字日記」は始まりません。

また、紙や墨・筆などの筆記用「ツール」も必要になるでしょう。
では仮に、「技量」と「ツール」がセットで揃えばそれでOKかと
いえば、決してそうではなく、さらにはその上にその作業に
費やせるだけの「時間」が必要になります。

これが一番高いハードルかもしれません。
仕事や家事に追われるような生活状況では、とてもじゃないが、
日記をつけるだけの「時間的余裕」はないわけで、
つまり、ワタシのように「貧乏ヒマなし」状況ではダメなのです。

少なくとも、これらが揃わない限り日常生活の「記録」は困難だ
ということで、逆に言えば今に伝わる「史料」はそのほとんどが
「時代のエリート」によって残されたものであり「その立場から」
記録されたものということになります。

当然ですが、そこにある見解は・・・記録を残せなかった側の
「庶民の見方」とは必ずしも重なってはいない・・・現代だって
その通りなのですから、そういう部分も少なくなかったと考える
のが、まあ妥当なところでしょう。

そうすると、逆にこんな言い方もできるのでは?
そう、その時代の「エリートの意見」は後世に残せたが、不幸な
ことに「庶民の意見」は残せなかった。

つまり、確かにその時代の圧倒的多数派として存在していたにも
関わらず、「庶民」はその痕跡を残すことができなかった
時代の透明人間」と言ってもいいのではないでしょうか。

もっとも、なにも「庶民」だけに限らず、同様なことは「敗者」に
ついても言えそうで、早い話が「死人に口なし」ということで
「敗者」自らの直接的なメッセージを残すことはできません。

さあそうすると、少々乱暴なくくり方をするなら今に伝わる
「(文字)史料」というものは「エリートの見解」、または
「勝者の主張」、またはその両方を兼ねたモノと言えることに
なりそうです。

それを堂々と後世に残せるのだから、まさに「勝てば官軍」と
いったところでしょう。

このような、ほんの一握りの人間が残した「文字資料」に基づいて
その時代の「再構築」を試みようとすることは、これは誰が見ても
「欠陥復元」であり、充分な作業とは言えません。
ひょっとしたら、とんでもなく大きな勘違いが混じり込む可能性
だってあり得るわけです。

なぜなら、その「記録」にはその時代における圧倒的多数である
「庶民」の存在は意識されることもなく、その影や気配すらない
時代の透明人間」という扱いを受けているからです。

その意味から、現代人が知る歴史が「まったく歪みのない」もの
とは言い切れないような気がします。
現代人の歴史観が、当時の政治も戦争も経済も文化も何もかも、
その「ひずみ」を無修正のまま解釈しているとしたら、これは
かなり由々しき問題ということになりますゼ。

堺屋太一氏が面白い「見解」を述べています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
〜元禄という好景気時代をリードした五代・綱吉が「暗君」とされ、
一方では享保という不景気時代を作り出し克服できなかった
八代・吉宗の方が「名君」とされているのはなぜか?
実態は真逆ではないのか?

〜その時代の歴史を書いたのが役人・官僚だったからだ!
つまり、世の中が「好景気」の時には役人・官僚は出番が少なく
権限も弱くなるが、「不景気」な時には、逆に「許認可権」を
握っている役人・官僚に頼らざるを得ない場面が多くなる。〜

〜すなわち、いつの時代も役人・官僚は好景気な時代より、
自分たちの権限が強化され「いい思いができる」不景気な
時代を好むもので、その役人・官僚が歴史を記録するのだから
好景気・綱吉が「暗君」、不景気・吉宗が「名君」と評されることに
なってもなんら不思議ではない。〜

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

あれれ、こんなカラクリ?があるのでしたら、なおのこと
時代の透明人間」を意識しながら歴史を見ることが重要なの
かもしれません。

そこで話は冒頭の朝日文左衛門に戻りますが、
この、実に好奇心旺盛、かつメッチャ筆まめな尾張藩士が
克明な日記「「鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)」を残しています。

下級武士だったといわれていますから、その見聞は庶民的?で
もちろん「時代の透明人間」の姿も取り上げています。
ご存知の方も多いでしょうが、ご関心の向きは、神坂次郎:著
「元禄御畳奉行の日記 尾張藩士の見た浮世」をどうぞ。

この文左衛門サン、「生類憐れみの令」の期間中実に数十回も
「魚獲り」を楽しんでいたことを、この日記の中に堂々と記録して
います。 多分、獲った魚はおいしく食べちゃったのでしょうヨ。

ではこの文左衛門サンが数十回の「死刑?」を宣告されたかと
いえばそんな様子もありません。
つまり、「蚊を殺しても厳罰!」だったという日本史の定説?にも
疑問府がつこうというものです。

この克明な日記を残した文左衛門サンが偉いのであって、
ワタシが偉いわけでもなんでもないのですが、ことの成り行きで
ちょびっとだけ「お国自慢」をさせてください。
文左衛門サンは「尾張」、つまりワタシの地元の人なのです。



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