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zoom RSS 日本史の「トホホ」01 小幡城の消滅マジック

<<   作成日時 : 2012/11/10 08:00   >>

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「小牧・長久手の戦い」(1584年)は、信長が「本能寺の変」
(1582年)で倒れたあとの「後継者決定戦?」の意味合いを
もった秀吉軍VS家康軍の唯一の直接対決であり、その意味
では両者ともに決して負けることのできない戦いでした。

ところが、その重要な戦いの最中にありながら、ナント人も馬も
消滅するという、なんとも不思議な一幕が展開されたのです。 

お話の次第はこうです。
この日、両軍が激突した「長久手」において圧勝した家康軍は、
手薄にした遠征基地・小牧城への帰還を急ぐ途中、小幡城へ
入りました。

このことは、兵士の休息と目的地・小牧までの距離を考慮した
もので、とりわけ不自然なことでもありません。

一方の秀吉軍もその点にはぬかりはなく、この情報をキャッチ
するや小幡城へと兵を進め、夜明けを待って家康軍と一戦
交える作戦を取りました。
両者「がっぷり四つ」の体勢が整ったことになります。

ヤル気満々、さて夜明けを待ってあたりを見廻してみると・・・
城内の人も馬もスッカリ「消滅」してものの見事にカラッポ! 
その時の状況は尾張弁ではこう表現します。
「アッチャ〜!・・・だ、だ〜れもおれせんがや!」

その状況を尻目に家康軍は小牧城帰還に無事成功した・・・
ということになっています。

でも、どうしてこんなことになったのか、それが不思議です。
第一、夜間の静寂の中ですから、移動のための音や声を
立てれば、秀吉軍側は当然気がつくハズです。
揃いも揃って耳の遠い兵士ばかりだったとも思えません。

ところが実際には見事に「無音撤収」に成功しているのです
から、このミステリーにはこんな解釈もあるようです。
〜家康軍には馬を自在にコントロールできる技術があった?〜

つまり、一種の「催眠術」とか「鍼灸術」のような技術で馬の
「いななき」を制御できたとする考え方ですが、これでも問題は
残ります。
では、馬の「足音」の方はどう「処置」したのでしょうか?

画像 小牧・長久手の戦い:wikipedia

 これにも、また別の解釈が。
 〜家康軍は「防音用のツール」を豊富に
 用意していた?〜
 馬が動けば足音が、
 また武具や荷物が揺れたりこすれたり
 すれば音も出ます。 そのためのツール、
 すなわち「馬用の足袋」とか「積荷用の
 クッション材」があったとする見方です。

しかし、つい先ほどまで激戦の最中にあった部隊に馬用の
「足袋」や荷物用の「クッション材」がふんだんに用意されていた
とは、ちょいとばかり考えにくいような気がします。

そうなると、方向を変えて、こんな検討も加わってきます。
〜「小幡城」は、そもそも家康軍の「陽動作戦」だった?〜
要するに、家康軍は小幡城に入ると見せかけ、同時に入城した
という「ニセ情報」も流した上で、実際には入らず別のルートを
選択したのではないか?とする見方です。

この場合、その「ニセ情報」をキャッチした秀吉軍が小幡城を
囲んだ頃には、家康軍本体は当の昔に別ルートで小牧城へ
向け歩を進めていた、という図になり、つまり、秀吉軍は
「もぬけの殻」の城に張り付いていたという解釈です。

似たような解釈ですが、こちらはもう少し秀吉軍に対する厳しい
見方で、秀吉軍側の情報伝達にタイムラグがあって、家康軍が
小幡城を出発した後に、ようやくのこと秀吉軍が現地到着できた
とする、いささか秀吉軍側のドジっぷりを強調した見解です。

真相は分かっていません。 この「分かっていない」という事実を
もっけの幸いにワタシはこのように解釈することにしました。

この「小幡城の消滅マジック」については、その後になっても
「秀吉に一泡ふかせてやったワイ!」と自慢気に話す人間も
現れなかったようですが、それから思うに、つまりは馬への
催眠術とか緻密な謀略作戦とかいうような講談チックな出来事
ではなくて、ただ単に両者のイージーミスが妙な具合に絡み
合ったというだけの結構ショボイ話だったに違いない!

大物役者が揃っていると、ついつい「事実は小説より奇なり」を
期待してしまうのが歴史ファンの悪いクセですが、「歴史の真相」
というものは案外こんなものかも知れないのですゾ。

それにしても、この「小幡城の消滅マジック」の一件は、秀吉に
とってはよほどのショックだったらしく、このことには一切触れる
ことなく、生涯ダンマリを通したとか。
言葉にすれば、ハンパでない「トホホ!」を味わったというところ
なのでしょう。

でも、そこはさすがに秀吉で、決して「やられっぱなし」で終わった
わけではありません。 この直後には同等(それ以上か?)の
ショックを家康に与える形でキッチリ「お返し」をしています。

つまり、今度は秀吉が家康に「トホホ!」を味わわせたわけです
が、その「大ドンデン返し」については、また別の機会にでも。

「分かっていない」ことに、想像を膨らませてロマンを託すのは
人間の習性みたいなものですが、早い話、クレオパトラの
「顔写真」が残っていたなら本当に「絶世の美女」と賞賛した
ものかどうか?

案外、到底歴史は変えられないほどのシッカリした「鼻ペチャ」
だったかも知れませんゼ!
もしそうなら、これも結構「トホホ!」なお話ですね。



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