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zoom RSS 日本史の「女性」08 信玄の血は残った

<<   作成日時 : 2012/10/30 08:30   >>

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昔のことですから十七歳の女性が結婚することはさほど珍しい
ことでもありません。
とは言うものの、その相手が七十歳のジイサマともなれば当時と
しても、さすがに異色のカップルだったのではないでしょうか。

でもまた、なぜそんなことに?
お話は、信玄(1521-1573)の「武田家」が子・勝頼(1546-1582)
の代に「滅亡」(1582年)した時期まで遡ります。
一般的には、このときを「武田家滅亡」と表現していますが、実際
には信玄次男・信親(僧・竜芳?竜宝?)は生き残っていました。
※信玄・三男という見方もあるそうです。

画像 


出展:wikipedia

 自刃する勝頼主従
 (月岡芳年画)>




さて、この後はかなり複雑な変遷を辿りますが、これを要領よく
説明できるだけの力もありませんので、大胆に(実は横着に?)
省略します。

この信親(1541-1582)は、盲目であったために武田家の政治の
表舞台に立つこともなく、いつしか僧になっていましたから、
元から信玄の「血筋」としてはカウントされていなかったのかも
しれません。
しかし、信玄の次男(三男?)であることは間違いないわけです。

まあ普通だと、「僧に子はいなかったハズだ」と考えたくなるところ
ですが、僧籍に入る前に結婚していたのか、一向宗ということも
あって「妻帯」をしていたのか、あるいは盲目のために手助けの
女性を身近に置いていたのか、このあたりの詳しい事情はよく
分かりませんが、ともかく信親には「子供がいた」ということです。

いわゆる「戦国時代」の真っ只中ですし、そこへまた滅亡による
過酷な境遇が重なりますので、とてもとても尋常な経緯ではあり
ませんが、この血筋は以後も続き、江戸時代に入ると罪人と
なっていた「信正」(1600-1675)がその最後の一人になっていま
した。

つまり、この最後の一人である「信正」が亡くなれば、その時点で
信玄の血は完全に絶えることになり(大変失礼な言い方ですが)
関係者にとっては現代で言う「絶滅危惧種」?的な危機感が
あったというところでしょう。

さて、江戸時代も四代将軍・家綱の時代になって、この信正も
恩赦(1663年)を受け、やっとのことで江戸に戻ることができま
した。 ここに至って、大名になっていた武田の遺臣・内藤帯刀
(1592-1674)が登場し、冒頭の「やたらに年の離れたカップル」の
お話に戻ることになります。

つまり、武田の遺臣あることを自負している内藤としては、自分の
目の前で昔の主家の血が絶えてしまうことは忍びなく、なんとして
も「武田の血」を残したいと考えたわけです。
そこで、結局自分の娘を差し出し、この信正の妻にしました。

このとき、信正70歳、帯刀の娘17歳と言われています。
めでたく「子供(信興)」(1672-1738)にも恵まれ、これ以後この
信興の血筋は1701年頃に高家旗本となり、ようやく再興が叶った
というようにお話は続いていきます。

それにしても、旧主家の子孫・信正の待遇だけを考えるなら他の
方法もあったでしょうが、そんなことには目もくれず、とにかく
「血筋」を続かせることを優先して「70歳と17歳のカップル」という
破天荒なプランを実行するのですから、昔の人の「血筋」に対する
執念には圧倒される思いがあります。

いいですか、人生50年と言われた時代の70歳のジイサマですよ、
現代ならおそらく90歳くらいの感覚ではないでしょうか。 現にこの
信正は、結婚後五年ほどで亡くなっている計算になります。

もしアナタがこの「内藤帯刀」の立場だったら、自分の17歳の娘を
嫁がせることができるでしょうか? よく考えてみてください。
なに?自分は娘を持ったことがないのでよく分からん?
なんという卑怯臭い言い回しではありませんか!

それはさておき、いかにこの時代の父親の命令とは言え、早々に
「死別」するであろうことが分かっていながら、覚悟を持ってその
一歩を踏み出すのですから、この帯刀の娘さんもスゴい!
現代では、おそらくこんな娘さんも「絶滅危惧種」?でしょうに。

この娘さんの行動を「家長の方針の犠牲者」と見るのか、
あるいは「腹をくくった女性の迫力ある生き様」と見るのかに
ついては、おそらくその時代時代の価値観や常識によって意見の
分かれるところなのでしょう。

ちなみに、この娘さんの実名については、wikipediaには「内藤忠
興(帯刀)娘」とあるだけですし、またこの「信正」は信玄の「曾孫
(ひまご)」なのか「玄孫(やしゃご)」なのかについても、それぞれ
の解釈があるようで、この辺も実はよくわかりません。

ともかくも「血は水よりも濃し」・・・これが内藤帯刀の信念だった
ことは間違いのないところでしょう。
ワタシの経験からしても、確かに・・・「鼻血は鼻水よりも濃し」


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