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zoom RSS 日本史の「謎解き」07 塀の上を歩いた茶人

<<   作成日時 : 2012/09/30 07:00   >>

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現代ですと「茶人」という言葉から文化人・芸術家を連想する人も
少なくないと思いますが、でも千利休が生きていた頃にはそのよう
には見られていなかった気がするのです。
なぜ? それは利休が「切腹」させられているからです。

利休(1522-1591年)は現代の「茶道教室の先生」とは少しばかり
違う立場にいたようです。 そんならば、「職業」は?
それに該当するモノが現代にもあるのかどうか知りませんが、
おそらくは多分に胡散臭い面を持った「職業」?だったのでは
ないでしょうか?

画像 商人と言えば、まあ確かに商人と
 言えなくはないのかも知れませんが
 後に「商人道」とよばれることになる
 真面目で実直な商売とは明らかに
 一線を画した異質な業態であったと
 思われます。

 現代感覚から言えば、政治家に取り
 入ったり、あるいは裏世界?とも
関わりを持つような少々「ヤバイ取引」という感じでしょうか?
少なくとも、「名もなく貧しく美しく」の範疇に収まる商売とは言えず
まあ、アウトローのイメージ、少なくとも当時の倫理や道徳などを
軽視した活動生態だったことは確かです。

たとえば、少し名が売れると安茶碗に自らとんでもない高価な
値付けをして暴利を貪ることも平気で行っています。

また、同じく茶人の山上宗二などは、その名のとおり天皇陵の上
に住むなど、その振る舞いもハンパでなくヤンチャでしたが、利休
自身とて負けじと天皇陵の石を勝手に持ち出して自分の手水鉢
や庭石に転用するなど、どちらの行為も当時の感覚であってさえ
「傍若無人」な振る舞いだったことは間違いありません。

「茶」はこれを好んだ信長の影響もあって、この時代の武将には
嗜む者も多く、その意味では武将社会?の共通言語?(現代なら
さしずめゴルフ?か)としてもてはやされる環境がありました。

交際術としての「茶」ですから、その達人ともなれば、むしろ武将
の側から積極的に声をかけたものでしょう。
現代でも、一流プロゴルファーのレッスンを受けることが一種の
「自慢」になり「箔」がつく姿に似ているのかもしれません。

その利休が秀吉の「怒り」を買って切腹を申し付けられます。
その「怒りの理由」については両人とも触れていませんので、
現在でも様々な推測がなされているわけですが、その中でも
割合に有名な「理由」?を並べてみますとこうなります。

○キンキラキン好き・秀吉と、ワビサビ・利休との美意識の違い。
○秀吉が利休の娘を妾にと望んだが、利休がこれを拒んだ。
○交易独占を狙う秀吉に対し、利休は堺の権益を守ろうとした。
○利休が、自身の木像を楼門の二階に設置し、その下を秀吉に
  通らせた無礼があった。 ・・・などなど。

現代の眼で「文化人・利休」と見るなら、ナルホドとも思えますが、
しかし、実際の姿は先のようにむしろ「無頼漢・利休」なのです
から、切腹命令の理由としてはいささか弱い印象です。
事実、ヤンチャ茶人・宗二の場合でも追放されてはいるものの、
単なるヤンチャとして一度は許されているのです。

この宗二の前例がありますから、周囲にいた前田利家や「茶の
弟子」である古田織部・細川忠興たちも、この時、助命嘆願に
奔走したそうですが、どうも利休自身は最初から覚悟を決めて
いた様子が伺えます。

なぜか?
利休自身がそれが「発覚したからには弁明の余地がない」ことと
自覚していたからに他なりません。
では、何が「発覚」したのでしょうか?

秀吉も利休も両者がともに「死刑に値する」と認めていた行為
とは? それは、やっぱり「スパイ」でしょう。
徳川家康側に情報を流していたスパイだった? いや、ひょっと
したら家康・秀吉の両方の情報を操った、いわゆる「二重スパイ」
だったのではないでしょうか?

この「事件」については、秀吉も利休も家康も口をつぐんでいる
ことがその状況証拠です。
なにせスパイなのですから、利休本人がペラペラ「告白」すること
もありえません。

秀吉・家康にしたところで仮に事実がそうであったとしても、
事が事だけに、そんなことを正直に認めることはできないのです
から、結局はみんながダンマリを決め込んだワケです。

合法・非合法すれすれの行為を表す「刑務所の塀の上を歩く」と
いう言葉がありますが、これは運が良ければ塀の外側(一般社会
=合法)へ落ち、運が悪ければ塀の内側(刑務所内=非合法)へ
落ちることを言っています。

「刑務所の塀の上を歩」いていた大物スパイ・利休は、最後に
「塀の内側」へ落ちたことになります。
いや、正しくは「塀の内側」へ落ちたときが最後、と言うべき宿命
を背負った職業?だったのかもしれません。

普通の職業ならば、会社を潰しても再起のチャンスは与えられ
ますが、少なくともこの「スパイ稼業」だけは古今東西どこでも、
「七転八倒」、あ、違った、「七転び八起き」のやり直しを認めない
窮屈でシビアな職業だと言えるのかも知れません。


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