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zoom RSS 日本史の「冗談?」04 一心太助と旗本・彦左

<<   作成日時 : 2012/08/20 18:30   >>

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「私は冗談が大嫌いだ!」という冗談がワタシは大好きです。
これは、その手に当てはまるお話かも知れませんので、少し
ばかり触れてみたいと思います。
お話は大久保彦左衛門(1560−1639)のエピソード。

昔、東映時代劇によく登場した大久保彦左衛門が実在の人物で
あることは知っていましたが (もっとも本名?忠教(ただかた)の方は
知らなんだ)
、その相棒?魚屋・一心太助(いっしん・たすけ)は
さすがに創作上の人物だと思っていました。

ですから、太助の墓が現存していると聞いたときには、てっきり
冗談だと思ったわけです。 でもホントなんですってね、これが。 
東京都港区の立行寺(りゅうぎょうじ・別名は大久保寺)が、その
場所で、しかも、その墓は彦左衛門の墓の一番近いところにある
そうですから、やっぱり実在の人物だったのでしょうか?

さてさて、この墓を建立したのは米穀商・松前屋五郎兵衛という
人ということになっています。
どういう経緯があったのかもよくわかりませんが、普通に考えれば
その場所に「太助の墓」を造ったということなら、この五郎兵衛は
彦左衛門の大久保家にも無理を言える立場の人物であり、かつ、
太助とは縁者または後援者?のような関係があった?

しかし、生前の彦左衛門と太助との係わり合いがいかに濃かった
にせよ、元はといえば「他人」なのですから、「同じ場所の墓」と
いうのは尋常ではありません。
ましてや、彦左衛門は「旗本」、太助は「魚屋」ですから、身分に
うるさかった江戸時代ということを考慮にいれれば、余計に違和感
があります。

太助について、Wikipediaはこう説明しています。
〜一心太助は、小説・戯曲・講談などに登場する架空の人物と
されている人物。初出は「大久保武蔵鐙」とされる。〜

このことから、こう考えたわけです。 たぶん、戯曲などによって
「太助の名前」が人気を呼ぶ頃、あるいは定着した後になって
「メッチャ冗談好きな誰か」が、はたとこの「墓」の構想を思いつき
そして果敢に実行したのではないか?

「太助」の墓が存在したら、これはおもしろいゾ・・・
それが「彦左衛門」の墓のそばにあったら、なお面白いゾ・・・
五郎兵衛の名前を出しておくなら、一段とリアリティが増すゾ・・・
これは我ながらグッドアイデアだ、よっしゃ、一丁やってみるか!
まあ、こんな具合だったのでは?

その人とは、当然伝えられる松前屋五郎兵衛とは別人の
「メッチャ冗談好きな人物」であり、しかも彦左衛門の墓の「近く
の場所」の権利を買ったのですから、もちろん「お金持ち」で
なければなりません。

冗談好き/お金持ち、このふたつを兼ね備えた人物とは一体
誰か? ・・・そんなことは、わかりゃ〜しません。
わかるなら、とっくにそれが「定説」になっているハズですから。
でも、この手の「冗談好き」によって、歴史は捏造されていく?

でも、もしワタシの推理が外れていて太助が実在の人物だった
なら、映画にあったように彦左衛門が「大盥(おおだらい)」に
乗って登城したという話もホントなのか?

 
※記憶では、確か一心太助は中村錦之助が、大久保彦左衛門を月形龍之介が
 演じたと思います。 〜若い方は、この手のクドイ回想は無視してください〜

画像 では、「大盥(おおだらい)」
 とは、いったいなにか? 文字
 通り大きなタライのことです。
 ←イラストをどうぞ。


 出展:Wikipedia 大久保忠教
 なんでまたそんな不便なことを?
 それは、旗本以下の輿が禁止
された際に彦左衛門がとったあてつけの行動とされています。

そう、彦左衛門は旗本であり「天下のご意見番」と見られるほどの
硬骨漢(意固地?ヘソ曲がり?)でもあったようで、その信念は
自らの「三河物語」にも、きっちり書き遺しているそうです。

なにより、大御所様(徳川家康)とともに関ヶ原などを戦い抜いて
きたことを誇りにしていたのに、新しい時代は必ずしも正当に?
評価せず、どうもその不満が日頃の「理由ある反抗」態度となって
現れていたようで、その結果、硬骨漢(または意固地)と見られる
原因になった?

その一例がこれ。
彦左衛門の最晩年、将軍・家光から加増を打診された折のこと。
「ありがたいが余命少ない自分には不要」と固辞したそうですが、
これは、無欲だったということではなく、本心には「今頃になって
加増するくらいなら、なぜもっと早くしなかったのだ!」という思い
があっての言葉だと解釈されています。

ですから、「大盥(おおだらい)登城」などという、「冗談めいた」
これ見よがしな「理由ある反抗」を、彦左衛門という「ヘソ曲がりな
ご老人」が実際に披露していたとしても、なんら不思議はない
のかも? その時これを担いだのが噂の魚屋・一心太助か?


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