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zoom RSS 日本史の「忘れ物」09 歴史学者のミスリード?

<<   作成日時 : 2012/08/15 09:30   >>

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ばっちりネクタイは決めたのに、ズボンを履き忘れている。
けっこうチグハグな姿ですが、現在使われている「歴史用語」
の中にも、この姿を連想させるモノがあるような気がします。

気になる事例として・・・たとえば江戸時代の「三大改革」と
いう名称がありますが、これって本当に「改革」でいいの?
ひょっとしたら、これはこの時代を包んでいた「儒教」という
強烈な「思想」「信条」を意識的に軽視した命名なのでは?

儒教の最大の徳目は「孝(親孝行)」のハズです。
簡単に言えば「親には楯突かない」、親と意見が異なった場合
でも、それは「親の意見の方が正しい」とする考え方ですから、
必然的に「親の言うことには間違いなんぞあるわけがない」と
いうことになります。

その思想を拡大すれば当然、「(天下の主人である)徳川家に
楯突くことは断じてよろしくないゾ!」という理屈になりますから
家康はこの点に大きなメリットを見出して、幕府の公式学問?
として取り入れたものと考えられます。

ところが、「江戸時代の三大改革」という表現を用いることは、
すなわち、〜徳川家先輩達の治世には間違いがありました、
(少なくとも、)欠点があったからこれを正しました〜という
意味合いに受け取れます。

しかし、これはあたかも親に口応えをするかのような発想で
あり、「孝が絶対」の「儒教」においてはあり得ないのですから
絶対に変で、奇妙で、場違いな用語と言えるでしょう。
でも、なんでまたこんなことに・・・?

 出展:wikipedia 徳川吉宗
画像 この矛盾は、意外に簡単に
 解決できました。
 なんてことはありません。
 以前は「○○の治」と受け止めて
 いたようなのです。
 つまり、正徳の治・享保の治・寛政
 の治・天保の治です。

 ところが、どんな事情があったもの
かは分かりませんが、後世の歴史学者の先生たちがそれを
「改革」と命名したらしいのです。
では「治」と「改革」はどのように違うの?

「治」という表現なら、もともとの「祖法=家康の方針」と現況との
間に幾分のズレが生じたため、これを「調整」し、本来あるべき
「もともとの方へ戻した」ほどの意味合いになりますから、
「祖法」を批判したり否定していることにはなりません。
しかし「改革」はいけません。 はっきり言ってペケです。

両方の字義は「改(あらた)める」であり、「革(あらた)める」こと
ですから、字義通りに解釈すれば、「祖法=家康の方針」には
間違いまたは欠陥があったので、それを今回「あらためました」と
言っていることになります。 

江戸時代は、その儒教の基本方針に基づいて、ずっと「権現様
(神格化された家康)のご意向に沿う」ことを旨としていたのです
から、「祖法に欠点がある」という発想そのものがなく、ましてや
そのないはずの「祖法の欠点」を改良するなどという考え方が
出てくるはずがありません。

つまり、「改革」と言う表現を用いることは、すなわち「親に意見
に楯突いた」ことになってしまいますから、これはまさに「ズボン
(儒教)を履き忘れている」表現と言えるのでは?

むしろ逆で、「祖法を遵守」することに一生懸命でいろいろ制度を
いじることにも、より「元々」に近づけるための作業をしている
のだ、とする強い信念があったものと思われます。

その意味からも、「○○の改革」という命名ははっきり「間違い」で
あると言っていいのではないでしょうか。
ところが、なまじ「三大改革」との表現が定着してしまったために
現代日本人にとってはお話がややこしくなってしまいました。

徳川吉宗・松平定信・水野忠邦はその偉大な「三大改革?」を
実行した人物として過分?な評価を得ていますが、その反面、
その「三大改革?」に当選できなかった新井白石・田沼意次など
の「仕事ぶり」は見事に過小評価(というよりマイナス評価?)を
受けるハメになりました。

脱儒教的?改革をめざした田沼意次などは「ワイロ政治家」の
汚名を着せられ、ほとんど「極悪人」扱いされていることが、
その言い例です。
これも「ズボン(儒教)を忘れている」見方と言えるでしょう。

よく知られたように「儒教」には「士農工商」という身分概念が
あります。(「士」は元来は「武士」のことではない。)
その最下位にランクされる「商人」を「武士」はどのように見たか?

「商は詐なり(つまり、商業はペテンであり正業ではない)」
少なくとも、寛政の改革?の松平定信はこのように見ていたよう
ですから、こんな信念を強く持った人物が商業を重視しようとする
人々(たとえば田沼意次)をどのように見ていたのかは容易に
想像がつこうというものです。

「奴はペテン師(商人)どもとツルんで武士のクセして平気で
儒教違反?を犯すような恥知らずなメッチャ極悪人である」
当然こうなります。

松平定信ご本人がそのように考えたとしてもそれはそれで一向
に構いませんが、ところが、後世の歴史学者が示した命名の
せいで、現代人もそれに引きずられた見方をしているとしたなら、
これはいささか「問題あり」ということにはなりゃ〜しませんか?

そこに「儒教による偏見」が存在していることに気がつかないと
したら、ワタシのように素直な人の解釈はこうなりかねません。
〜大改革をリードした偉大な人物が、アイツのことを悪人と
  評しているのだから、その見方は正しいハズだ〜

結果的に、「三大改革」という命名はこのような見方を誘導して
いることになってしまっています。
ネクタイの結び具合を気にするその前に、やっぱりきちんと
ズボン(儒教の思想)を履いていることの方を確認することが
大事であるように思えます。

もっとも、そんな偉そうなことを言っているワタシも、実は先の
歴史学者さん達に負けないくらいの振る舞いの連続です。

メガネのままで顔を洗おうとしたり、昨日会った人の名前が出て
こなかったり、たったいま手に持っていたモノは一体どこへ?・・・
江戸時代の政治状況はともかくとして、少なくとも私の日常生活
には「三大改革」が絶対に必要です。


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