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zoom RSS 日本史の「忘れ物」03信長と平和事始

<<   作成日時 : 2012/02/29 08:00   >>

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♪ 京の五条の橋の上 大のおとこの弁慶は 長い薙刀
   ふりあげて 牛若めがけて 切りかかる ♪

童謡「牛若丸」にも歌われている通り、弁慶は多彩な武器
(七つ道具)を装備したコワいお坊さんだ。
数珠ではないゾ、弁慶は確かに薙刀(なぎなた)をふりあげて
いる! しかし、なんでまた坊さんが武器なんぞを?


画像 それは、自らの権益を守るためには「武力」の
 裏づけが不可欠だった、ということだ。
 つまりは、どの寺社も自前の「軍隊」を保有して
 いたワケである。
 それが「僧兵」であり、僧の武装というよりは、
 「軍隊」が僧の衣装をまとっていた、と理解した
ほうが話は早い。 時代は経てもそのスタイルは変わらなかった。

戦国時代に至っても、宗教勢力はほとんど独立国家と呼べるほど
の経済力と軍事力を保有し、自分たちの利益が侵されることの
ないよう、政治に対しても積極的に揺さぶりをかけていた。
自分たちの主張が通らないとなれば、実力行使(戦争)も辞さない
姿勢をハッキリ示していた、ということである。

これに対し、この時の天下人・織田信長はこう主張していた。
「宗教活動の自由は認める。しかし、坊主が政治に口を出すこと
は許さん!」 (たぶん、かなりクセのある尾張弁で)

しかし、「既得権」を手放したくない宗教勢力にとって、これは素直
に聞き入れられる宣言ではない。 だから、たびたび実力行使に
訴えた。 信長が比叡山や本願寺などの寺社勢力と交戦したこと
には、これが理由にある。

ただ、信長VS宗教勢力の戦争は、大名同士の合戦とはその
スタイルが大いに異なる。
つまり、宗教側は信徒(女・子供・老人など)も戦闘に加わるから、
いきおい戦闘員・非戦闘員の区別もない一種の「ゲリラ戦」の様相
を呈することになる。

しかも、そのバックに仏様が存在しているために、自らの信仰心を
問われることにもなって、軽々な「降伏」なんぞはできやしない。 
信徒(宗教側兵士?)にとっては、「勝利」か「全滅」しかない、
出口を塞いだ徹底抗戦になるワケだ。

突き詰めれば、「祖国」や「神様(仏様)」に好かれるのであれば、
(内心はともかく)自分の命なんぞはちっとも惜しくはないゾ、という
言動に走りやすい、ということだ。

この環境下で、信長側が宗教団体に「参りました、降参です」と
言わせようとすれば、結局その勢力を完膚なきまでに叩きのめす
ほかに方法はない。
必然的に、僧兵はもちろん、女・子供・老人にも多数の犠牲者が
出ることになる。 実際、信長はそうして宗教勢力の牙を抜いた。

ここからが意見の分かれるところだ。
〜信長は残虐だ!何もお坊様・女性・子供・老人までいる
 平和なお寺を攻めることはなかったのではないか?〜
〜信長は国家の安定を最優先したのだ!何も好き好んで
 お坊様・女性・子供・老人を殺したワケではないのだ!〜

ただ、その後の歴史の流れはこうなった。
信長後の秀吉が武士以外の武器保有を否定したことで
「丸腰のお坊さん」が誕生する。

さらにその後、徳川幕府の「檀家制度」政策により、
僧は「国家行政」の一端を担うようにもなった。
信長との対決から約50年後のことである。

この時代になると、僧は政府に「タテをつく」どころではない、
ナント、政府の委託職員?を拝命することにもなったのである。
それから以後数百年、現代に至るまで「丸腰のお坊さん」は続き、
その結果、かつて「軍事力を持つ宗教勢力、武装した僧」が存在
していたことは スッカリ忘れられた のである。

そして、現代日本人は「お坊さんは昔から丸腰だった」と錯覚する
ようになった次第である。
だが、もし信長が武装宗教勢力の「牙抜き」を実行していなかった
としたら、はたしてこれほど短期間で「武装・反政府勢力」を
「非武装・親政府勢力」へ変身させることができただろうか?

繰り返すが、あの時の信長の断固たる決意・行動をキッカケとして
その結果に「丸腰のお坊さん」が誕生したのであって、信長と
戦った当時の宗教勢力が「丸腰のお坊さん」だったワケではない。

かのシェイクスピアの舞台劇「ジュリアス・シーザー」にはこんな
セリフがあるそうだ。
   〜 人の死するや その善事は 墓と共に 葬られ
      悪事は 千載の後まで 語り継がれる 〜

信長VS宗教勢力の戦争については、確かに「千載の後まで」
すなわち現代においても、このセリフ通りの評価・批判がなされ
ている・・・ということになる。

ひょっとしたら、シェイクスピアも信長と同じような微妙複雑な
局面に遭遇して、このセリフを書いたのかも知れない。
ちなみに、シェイクスピアは織田信長より30歳年下である。

先の信長の言葉は、やはり尾張弁に訂正しておこう。
<信心は認めたると言っとるだろ〜。 そんだけんどオミャ〜、
  坊主の口出しみてゃ〜な、そんなエエコロカゲンなことは、
  ぜってゃ〜許せえせんがや!>


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