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zoom RSS 日本史の「女性」01禅尼の動機

<<   作成日時 : 2012/01/10 09:01   >>

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平清盛は敵軍大将・源義朝の息子である源頼朝を捕らえた。
このとき頼朝13歳、数年後には青年に達する年齢である。
であれば、将来の禍根を残さないためにも、即「始末」しておく
のがこの時代の常識だ。だが、頼朝は殺されなかった。


画像〜頼朝・誕生の地〜  出展:
−名古屋を探検する−<え〜なも探偵団>


いったい、なぜ殺されなかったのか?
清盛の継母である池禅尼による
「助命嘆願」があったから、という
ことに、一応はなっている。 
池禅尼は頼朝が早世した我が子・家盛によく似ていることを
訴え、清盛に翻意を迫った。
清盛にとっても家盛は異母弟に当たるワケだから、
こんな言い方をされればムゲな拒絶もできない。
しかし禍根は残したくない、ここで清盛は困っちゃう。

煮え切らない清盛に、池禅尼は次の手として断食作戦
(ハンガーストライキ)に打って出たそうだ。 スゴイ。
結局、清盛の方が折れて出ることになった。その結果は・・・
ご存知の通り、「平家滅亡」へと繋がっていくワケである。

しかしこの「お話」、できすぎてはいないだろうか?
不自然と感じられるところもいくつかある。
まず第一に、池禅尼が「捕虜・頼朝」に会っている点だ。

殺すべき「捕虜・頼朝」の姿を、清盛は本当にわざわざ
継母・池禅尼に見せたのだろうか? 
それも、そっと垣間見せる程度ではなく、結構近い位置で
面と向かってである。
そうでなければ、「死んだ我が子・家盛にソックリ!」という
池禅尼のセリフは出てこないハズだ。
「捕虜・頼朝」の姿を、清盛がわざわざ池禅尼に見せた
理由がわからない。別の言い方をすれば、本当に両者の
面会が行われたのか・・・と疑えば疑える。

また「早世した家盛」というのも実にビミューな表現である。
落ち着いて考えてみると、「早世」というものの家盛は決して
「子供」時代に死んだワケではない。
少なくとも20歳台には到達していた。
確かに「長生き」ではないにせよ、13歳の頼朝少年に
「早世した家盛の面影を見たみた」という、この表現の
ビミョーさにもなんとなく胡散臭さは残るゾ。

さらには、池禅尼の次なる手段のハンガーストライキも
いかにも過激な印象があって素直には首肯できない。
喰うか喰われるかの時代における、一少年捕虜に対する
感情としてはやや昂ぶりすぎてることに違和感がある。

これらの「池禅尼の助命嘆願」のエピソードの底流には
こんな意識が流れているのではないのだろうか?
〜いかに身分が高かろうとも、女が政治に口出しすると、
ロクな結果にはならない〜 もっと露骨な表現を借りれば、
〜池禅尼の先を見ない独りよがりの慈悲心が、結果として
平家を滅ぼしたのだ〜 要するに女性に対する偏見である。

では、(本当にあったとすれば)池禅尼はなぜ助命嘆願を
したのだろうか? 常識的には、周りからの大きな働きかけ・
圧力があったもの考えていいのではないか。
特に注目したいのは頼朝の母方の力である。

頼朝は父・源義朝と母・由良御前の間に生まれている。
この・母・由良御前は熱田神宮大宮司・藤原季範の娘であり
季範は池禅尼の、確か「甥」に当たる・・・(と思った。)
※詳しい関係は忘れたが、池禅尼と頼朝はいわゆる「遠い親戚」になる。
池禅尼の同情・善意は、案外「甥っ子?」藤原季範に
向けられていたのかも知れないのである。

もうひとつ考えられる。 (この辺が真実ではないのかナ?)
それは、合戦の決着がはっきりついた後において、
なすべき術をもたない少年をバッサリ殺すことに、
女性である池禅尼は、結構大きな心の負担(恐怖心)を
感じていたのではないだろうか・・・ということである。
要するに、「無抵抗少年の処刑」によって、その「怨霊」が
平家の将来に大きなタタリをもたらすことを心配したのだ。

合戦に勝利しても「怨霊」を出してしまえば、結果として
平家の将来的な安泰はないことになってしまう。
だから、池禅尼の「助命嘆願」の動機は、個人的情緒や
政治的配慮とは異なった次元である「信仰心」ということに
なろうか。
平家の末永い繁栄を願えばこそ、ここで「怨霊出現」による
将来的なリスクを回避しておこうとした、女性ならではの
キメ細やかな気配りだった・・・ようにも思えるのである。
それでこそ「嘆願」の異様なほどの執拗さも理解できよう、
と言うものではないだろうか。

ここから先は余談。
当時は実家で出産する習慣があったようだ。
だから、頼朝は母・由良御前の実家である熱田神宮大宮司・
藤原季範の家で生まれていることになる。
その藤原季範の家は熱田神宮の脇にあって、その場所は
お寺として現在も残っている。 →ここです、誓願寺!

(うれしいことに、なんと拙宅から歩いてトボトボ15分の場所)
 
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日本史の「女性」02お江の将軍構想
お江「では、義父上様は兄・家光と弟・忠長のどちらの方が    優秀だとお考えなのですか?」 家康「それは忠長の方であろうよ」 お江「それがお分かりになっていながら、わざわざ優秀でない    方の家光を次期将軍にしようなんて、信じられない!」 家康「そうではないゾ。兄である家光の方がふさわしい、    と言っておるのだ」 お江「そんなの詭弁です!手品です!変態です!」 ※秀忠の長男・長丸は早世したとされ、母親がお江かどうかも不明らしい。 ...続きを見る
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